走る走る!

捕まったら、終わりだと思っていた。

だから、逃げた。










自覚した途端にぶわりと湧き上がって、自分自身ではどうにもならなくなるような事。

例えるならそう、なんかちょっと熱っぽいかも?と思いながら、微熱微熱と自分を誤魔化して、

家に帰って体温測ってみたら、オイオイこりゃ完璧風邪だろ。考えてみりゃ背筋ゾクゾクしてたし関節も痛かったような…やべ、頭ボーっとしてきた。とりあえず薬飲んで寝ちまおう。明日アカデミー休まなきゃダメかな、あー畜生。

ってな感じ。

思い起こせば、これが一番ピッタリきた。






「のぅイルカ。お主、好いひとのひとりでもおらんのか」

「ぶへっ!なんですか三代目、藪から棒に!」

混み合う前の受付所は閑散としていて、それでいて昼飯後の気怠い雰囲気と相俟ってなんだかのんびりとしている。

俺の横に座っていた三代目も、ぷかぷかと煙管をふかしながら、大欠伸をひとつふたつ。

それにつられそうになりながら、俺はメモ用紙の上に落書きだかなんだか自分でもよくわからない走り書きをしていた。

おやつでーす。と、中忍なりたてのくのいちが淹れてくれたお茶と、茶請けの甘栗甘の金鍔焼きを頬張って、次のおやつは芋羊羹がいいなぁなんてぼんやり考えていた矢先だったのだ。

三代目に振られた唐突な内容の話題に、俺はお茶を吹き出してしまった。

「なんじゃ、その様子だとおらんようだな」

「三代目、ダメですよ。最近のイルカの話題といったら、相変わらずナルトナルト。もしくははたけ上忍の事くらいで。色気がないったらないですから」

三代目の逆隣りに座っていた同僚が笑って顔を出す。

お前だって二年は恋人いねーだろ!という雑言は三代目の手前飲み込んで、濡れてしまった書類に布巾を押し当てた。

「ナルトは兎も角…カカシか?」

「はい。やれ『カカシさんカッコイ~!』だの『カカシさん優し~!』だの」

同僚の言ってる事は嘘じゃないけれど、言い方が気に食わない。

そんなクネクネして言ってねーぞ俺。

「最近良く飲みに誘って下さるんです!改めて凄いひとだなぁって…」

気さくだし、里でも屈指の力の持ち主なのに、そんな事一切鼻に掛けないし。

「イルカ、カカシが好きなのか?」

「ぶはっ!…げほッ、ば、ちょ、三代目!?何バカな事言って…」

「動揺しておる」

「動揺してますね」

「ゴホッげほッ、」

「修業が足りんのぅ」

「修業が足らんですねぇ」

三代目と同僚は、ガハハと愉しげに笑っている。

俺はと言えばそれどころじゃない。

お茶が変な所に入って噎せて苦しいし涙目だし、三代目は変な事を言い出すし。

何だってんだホントに。

そりゃ、好きか嫌いかで訊かれれば、カカシさんの事は好きに決まってる。

忍としての実力は言うに及ばず、ただただ尊敬の一言に尽きるし。

口布の下の素顔は、男の俺が見たって惚れ惚れする程整っていて。

柔らかい物腰や言葉、所作の端々から、育ちの良いひとなんだろうなぁというのをヒシヒシ感じる事も多々ある。

戦忍とは思えないほど色の白いカカシさんも、酒が入れば首の辺りまでほんのり桜色になって。

その肌や、綺麗な白銀の髪に触れたい。と思った事だって何回も……。

ん?あれ?…触れたい?

カカシさんは男で、俺も男で。

年も階級も違って、カカシさんと俺じゃ、月とスッポン。

釣り合いなんか取れないし、大体釣り合いって、男同士で…。

でも、俺がカカシさんに触りたいと思ったり、出来る事ならカカシさんに触れてもらいたいと思ったりするこの感情は一体…?

ぶつぶつ呟いてしまっていたらしい俺の言葉を聞いて、三代目が呆れたように俺の頭を撫でた。

「カカシが好きなんじゃろ」

「……そう思います?」

「そりゃ、好きなんだろ」

さっきまで笑っていた同僚も、神妙な面持ちで頷いた。

そっか、俺、カカシさんが好きなんだ。

ああ、言われてみればカカシさんが『帰ります』と言った時なんか無性に寂しくて泣きたくなるし。

報告書を出しに来た時なんか、嬉しくてウキウキするもんなぁ。

俺は、カカシさんを好き。

「お疲れ様です。これお願いしますね」

そうそう、カカシさんのこの声も好きなんだよなぁ。

少し低くて甘い声。

「イルカ先生?」

「はい?」

うん、好きだ。とひとり納得して、名前を呼ばれて顔を上げると件のカカシさんが立っていた。

「カカシさんッ!?」

「はい?」

「いやっ、はは、なんでもないです!お疲れ様でした!」

俺はしどろもどろになりながらカカシさんから報告書を引ったくって、慌てて確認して頭を下げた。

「…そう?お疲れ様」

頭の上に疑問符を浮かべたカカシさんは、腑に落ちない顔をしながらも受付所を後にする。

その後ろ姿を見つめて溜息を吐いた俺の耳に三代目と同僚の噛み殺した笑いが聞こえて、二人を思い切り睨み付けたのは言うまでもない。


奥手なのにも程がある。と呆れた様子の三代目と、今のでバレたんじゃないか?とニヤニヤ笑う同僚と一緒に机の上を片付けて受付所を後にした頃には外は夕闇に包まれていて、夜の一歩手前という時間帯だった。

三代目は迎えに来たという木ノ葉丸と手を繋いで家路に着き、俺と同僚は今日の晩飯をどうするか。なんて話しながら路地を曲がった。

「どっか食いに行くか?」

「どっかって…お前のどっかは一楽限定だろ」

「一楽美味いだろ」

「美味いけど俺はパス。彼女が飯作って待ってんだわ」

「は!?お前いつの間に…」

今度思う様ノロケてやるからなー!と手を振る同僚に『いらねーよ!』と手を振り返して、電柱にもたれている人影を視界の端に捉えてギョッとした。

「お疲れ様、イルカ先生」

「…お、お疲れ様です」

カカシさんだ。

のっそりと出て来たカカシさんは、ポケットに突っ込んでいた手を俺の方へ伸ばしてきた。

思わず後ろに退いたのは、俺の本能だったんだろうか。

ピクリと眉根を寄せたカカシさんが、一歩前に出る。

俺は同じだけ一歩下がる。

「イルカ先生?」

「はい?」

一歩、一歩。

「なんで逃げるんですか?」

「なんでって…」

なんでだろう?

何故だかわからないけれど、逃げなければいけない気がした。

「ねぇ、ちょっと」

「ひっ…!」

一気に間合いを詰めて俺の腕を掴んだカカシさんの手を振り払って、俺は駆け出した。

怖い。逃げなきゃ。

捕まったら、終わりだ。















「はっ、はあっ…はあ」

何処をどう、どれぐらい走ったのかわからない。

相手が上忍とはいえ、俺だって伊達に中忍なんかやってない。

戦うってんなら兎も角、逃げの一手、しかも里の中ならガキの頃から走り回っていて、イヤって程抜け道も知ってるんだ。

捕まったら終わり。

何が終わりって、俺と、まだ俺を追いかけてるであろうカカシさんとの関係が、だ。

さっきの態度で俺の気持ちがバレたとしても、自分の口からはっきり言わない限り誤魔化しようはあるだろう。

でも、捕まったらダメだ。

多分俺は、口を割ってしまう。

よく感情が顔に出やすいと言われるし、自覚してしまった恋心を押し殺すなんて事も出来やしない。

何より、カカシさんに呆れられたり軽蔑されたり、まして同情なんて、一番されたくないのだ。

「見ーつけた」

「ぎゃあっ!?」

素っ頓狂な声を上げた俺の真後ろには、息ひとつ切らしていないカカシさんが剣呑なチャクラを垂れ流して立っていた。

後ろは壁、袋小路で逃げ場はない。

「ぎゃあって…何?殺されるとでも思いました?」

「ち、違います!ビックリして…」

ずんずん詰め寄るカカシさんは、今まで見た事がないくらい不機嫌そのもので。

ちょっと本気で殺されるかと思った。

俺は無意識で涙目だ。

「受付所での態度はオカシイし、さっきはいきなり逃げ出すし…俺、何かしました?」

「カカシさんは悪くないです、悪いのは俺で…」

「何が悪いの?説明するまで帰しませんよ?」

うぅ、普段優しいひとが怒ると怖いってのはこういう事なんだ。

生徒達が俺の事怖がらないのもわかるな。

俺、いっつも怒ってるもんなぁ。

「ちょーっと、イルカ先生?」

「ふぁいッ!?」

グニッと頬を引っ張られて、目の前のカカシさんに意識を戻す。

ああ、怒ってても綺麗な顔だ(だからこそ余計に怖いんだけど)

「何?俺、アナタに嫌われてんですか?もしかして今まで、食事とかイヤイヤ付き合ってた?」

俺はカカシさんの言葉にぶんぶんと首を横に振る。

頬の肉は引っ張られたままだったけれど、痛みも感じないぐらい真剣なカカシさんの顔に釘付けになっていた。

「それならなんで逃げたりしたの」

「だって…」

「だって?」

「め、迷惑でしょう?俺、ついさっき貴方が好きだって気が付いて、それで、」

「ついさっき…?」

「…はい」

「はあぁ…本気で呆れた…アンタってひとは…」

ほら、カカシさん呆れたって、こんな思いをするから嫌だったんだ。

畜生、いっそ里の外まで逃げちまえばよかった。

もうやだ、カカシさんの顔見れない、見たくない。

きっと凄いバカを見る目で見てるに決まってる。

それか、気持ち悪くてバカな俺を軽蔑するような、そんな目。

俺は俯いた。

引っ張られたままの頬がぐにゃりと持ち上がる。

痛いけど、シクシクする胸の痛みに比べりゃ屁でもない。

また走って逃げようか。

もしかしたら、ほっぺの肉が千切れるかもな。

アレだ、トカゲの尻尾切りみたいな。

イルカのほっぺ切り?

バカか俺は。

ああでも、そうしたら相当痛いだろうなぁ。

血が出て、血痕でもってすぐ見つかっちまうかも。

いや、それ以前にカカシさんはもう俺を追い掛けては来ないだろう。

そう考えたらボロボロ涙が零れ落ちて、ますますカカシさんを見られなくなった。

「イールーカせーんせ」

「も、もういいです。俺の事はほっといて下さい!」

「あのね、俺は好きなひとが泣いてるのをほったらかして帰れるほど、薄情な人間じゃないんです」



 好きなひと。



その言葉に顔を上げた俺の前には、嬉しそうな、それでいて泣きそうな表情のカカシさんの顔があった。

「ね、俺が好きなら走って逃げたりしないで?そりゃあ勿論、アナタを捕まえる自信はあるけど…すごく傷付きました」

「ごめんなさい…」

「ん、俺もごめんね。ほっぺた真っ赤になっちゃった」

カカシさんは俺の頬をそっと撫でて、口布を下げるとゆっくり唇を押し当てた。

「ぎゃあっ!?」

「ちょっと、ぎゃあ!も止めて。傷付くから」

意外とナイーブなんですよ。と呟いたカカシさんは、照れていてもやっぱり綺麗で格好良かった。


ぎゃあ!がダメなら、何ならいいんだろう?

降ってくる唇を受け止めながら、なんとなくそんな事を考えた。



end

告白

 例えば、人生最期の食事がポーチに入っていたただひとつの兵糧丸だったとして。

いいことばかりの人生じゃなかったけど、流石にコレはないんじゃない?なんて、決して舌触りの良いとはいえない丸薬の味を堪能しながら、俺は思い出すのだろう。

口に入っているのが兵糧丸だとしても、前の晩に里で食べた温かい食事の事を。

ナルトなら最期の晩餐は『一楽のラーメン!』と、アイツを知ってる人間ならハイハイ、聞いた俺が馬鹿でした。と両手を上げて降参したくなるような事を言うに違いない。

アスマは煙草、紅は酒があればいいと答えるだろう。

ガイはアレだ、愛弟子のリーと一緒に食べたのなら、兵糧丸を半分ずつだってきっと文句は言わない筈。

問題は『何を食べたか』じゃなくて『誰』と『何』を食べたか、だ!

なんて熱弁を奮っていたガイの顔を思い出して、俺は頭を振った。

「カカシさん?何か嫌いな物でも入ってました?」

気遣うような声に意識を戻すと、小さな卓袱台、温かな湯気と腹が鳴ってしまう程に旨そうな匂いの向こうで、イルカ先生が訝しげに俺を見ていた。

「いや…ちょっと食欲減退しそうな男の顔を思い出しちゃいまして」

「ガイ先生ですか」

笑いながら飯を盛った茶碗を寄越すイルカ先生に笑顔で返して、俺は手を合わせて食事にありついた。











イルカ先生には内緒で、何となくヤバいんじゃないかなぁという任務の前日には彼の家を訪れる事にしていた。

時刻は決まって夕飯時で、『中忍に飯をたかりに来るどうしようもない上忍』と思われているに違いないけど。

無論俺だってみすみす死にに行く気はないから、任務の事は口にせず、あくまで普段通り。

ふらっと、ご馳走になりに来ました。といったニュアンスでイルカ先生の前に立つのだけれど。

ここ最近は去り際に、妙に真剣に『さようなら』と言われていて、鈍いようで鋭いひとだから、俺が最期の晩餐に彼の食事を選んでいる事がバレているんじゃないかと、内心ヒヤヒヤしていた。

そうなんですか?と聞かれて、ハイそうなんです。と答えれば、イルカ先生は重荷に思うだろう。

気を遣って、食事が豪勢になったり俺の好物ばかりになるかも知れない。

俺としてはそんなのは真っ平御免で、普段通りに作ってくれる、普段通りのイルカ先生の食事がいい。

少し大きめに切られた食材とか、大雑把な味付けとか。

見栄えよりも味が重視で、大皿にがっつり盛られたそれは、ちょっと値の張る有名な料亭の、小綺麗に飾られた料理よりも食欲が湧くし、その実きちんと美味しかったりするから。

それに、男同士で気が楽だから。というのもある。

今はいないけれど、かつて俺に恋人と呼べる相手が居た頃は『必ず帰るから』なんて甘い睦言のひとつもサービスしなきゃならなかった。

死地に向かう此方の気持ちより、相手の気持ちを優先しなければならない。

好いた相手だから、当然彼女の負担は減らしてあげたいと思ってはいたけれど、俺としては翌日の自分の為に、精神的にも肉体的にも万全の状態で任務に赴きたいのだ。

それを煩わしく思うという事は、俺はそれほど彼女の事を好いてはいなかったに違いない。

案の定誰ともそう長続きはせず、俺は独りでいる事を選ぶ方が多くなってきた。

楽だから。
飯が美味いから。

それだけでイルカ先生の家に通って彼の食事を口にしている俺は、ただ単に卑怯なだけかも知れない。

「カカシさん、今日は無口ですね」

「そんな事ないですよ。ちょっと考え事してただけです」

「……あの、少し話があるんですけど…お時間大丈夫ですか?」

茶のおかわりを勧められて、空になった湯呑みをイルカ先生に渡す。

「何ですか?俺で良ければ何なりとどうぞ」

言いよどむイルカ先生を促すように笑みを返すと、僅かに逡巡して彼は姿勢を正した。

「おれ…俺、カカシさんが好きです。その…変な意味で、好きなんです」

「…………へっ?」

真っ直ぐな眼差しに、染めた頬。

これはアレだ、いわゆる『告白』ってヤツだよね?

いやいや、され慣れてるから直ぐわかるってワケじゃないけど、まさかこのタイミングで。

しかも、イルカ先生が。

「…イルカ先生、それ笑えない」

「わかってます。洒落や冗談なら…俺だってもっと上手に、笑えるように言います」

俺の一言に眉尻を下げて、それでも視線を反らそうとはしないイルカ先生に、本気なんだな。と思った。

そろそろ、潮時なのかも知れない。

「……ひとつ訊きたいんだけど」

「はい?」

「アナタはどうしたいの?」

我ながら酷だと思う

好きだと言われて、それに応えもしないでどうしたいかを訊くだなんて。

(でも、俺は卑怯だから)

「カカシさん、俺、待ってたいです」

「俺を?」

「はい。笑顔で貴方を送り出して、笑顔で貴方を迎えたい」

それだけでいいです。と言い切って、イルカ先生は温かい茶を注いで湯呑みを俺の前に置いた。

この茶葉だってそう、

どこそこの名産で、一級品で、なんて物じゃない。

そこらのスーパーで売られている普通のお茶で。

それを目分量で急須に入れ、茶の香りが飛ぼうが何しようが構わないような適当な温度のお湯で、長年愛用してるらしい安っぽい湯呑みに淹れた物。

でもきっと、明日の任務で俺が死んでしまうとして。

死の淵で思い出すのは恐らくこのお茶と、さっき食べた料理の味と、

俺の返事をドキドキしながら待っているイルカ先生の真っ赤な顔。

それに違いないから。

「俺の帰りを、待っててくれますか」

「はい。待ってます」

さようなら、また今度。なんて挨拶は、もう止めにして。

行ってきます。で、今日はこの部屋を後にしよう。

億劫だった『必ず帰るから』の台詞も、彼が笑顔で頷いてくれると思えば。

自然に俺の口をついて出ていた。




end

勘違い

「突然の休暇申請とは…お主らしくもないな、カカシ」

三代目火影こと猿飛ヒルゼンは、休暇申請の書類をぺらりと捲って目の前に立つ男を見た。

「ほんの二、三日なんですけど…無理ですかね?」

「事と次第によっては許可せんこともないが。理由は?」

「はあ。実は……うみのが孕みまして」

がりがりと頭を掻いたカカシは、激昂したヒルゼンによって火影室から叩き出された。












「怒髪天を衝くってのは、ああいう事を言うんだねぇ」

「これ以上親父の血圧上げてくれるなよ。漸くナルトの悪戯から解放されたって喜んでたってのに」

のんびり言い放ったカカシに、アスマが笑い掛けた

父親の体を案ずる言葉を口にしながらも、くつくつと肩が揺れている。

「嘘じゃないのに…休み降りなかったよ」

「当然だろ。お前は言葉が足りなさ過ぎるんだよ」

「あーあ、どうしよ…」

「イルカは休み取れたんだろ?一人で大丈夫だって」

「何の話?」

落ち込むカカシに宥めるアスマ、珍しい光景に紅が声を掛けた。

「子供が出来たんだとよ」

「あらっ。予定日は?」

「多分、二、三日中」

「急な話ねぇ」

「全然気付かなかったんだよ。ほとんど毎日見てたのにさ。最近太ったなーとは思ってたんだけど」

「名前はどうすんだ?」

「まだ決めてない。顔見て決めようかなって」

「それなら私に付けさせてよ」

「やーだよ。紅のセンスは俺達に合わないもん」

「大層な言い草ねぇ」

「それよりお前ら、育てられんのか?」

「里子に出そうかって話もしたんだけどね…イルカ先生が嫌だって譲らなくて」

「そりゃそうでしょ。だって初めての子供なワケじゃない?」

すごく可愛いわよきっと。と続けた紅の後ろで、聞き耳を立てつつ茶を飲んでいたゲンマとライドウは、全く同じ動作で盛大に茶を吹き出した。

(ちょ、オイ!今の聞いたか!?)

(…子供?名前?里子?……ついにやっちまったか、カカシさん)

あっちふらふらこっちふらふらしていた独身貴族、里の誉れ、写輪眼のカカシに子供が出来た!

待機所にたむろする上忍と特別上忍の面々は、聞いている素振りなど全く見せずに固唾を飲んでカカシの次の言葉を待った。

(なぁゲンマ、男と女どっちだと思う?)

(知るか。つーか、里子って…カカシさん非道ェな)

(里中に式飛ばすか?)

(止めろバカ。イルカの立場も考えてやれよ)

(あー…そっか、アカデミーの保護者の目とか、色々あるもんなぁ)

イルカは、常々カカシと自分は『立場が違う』とこぼしていた

場合が場合だ、本人達にとっては慶事でも世間から見れば醜聞と取られる事もあるだろう。

「あー…立ち会いたかったなぁ…」

がっくりとうなだれたカカシに、ゲンマとライドウは目を見張る。

(た、立ち会い…!?)

(意外っつーか…カカシさん肝太ェなァ…)

立ち会い出産の恐ろしさは、妻子持ちの同僚から延々聞かされた覚えがある二人である。

『その時の嫁は獣のようだった』

普段清楚な連れ合いのあられもない姿を見て、歴戦の猛者が縮み上がったという。

さすが写輪眼のカカシ。と思うゲンマと、まさかコピーする気じゃないよな?と訳のわからない心配をするライドウを余所に、カカシはブーブー文句を垂れている。

「忍にも産休は必要だと思わない?」

「それ賛成」

「時と場合によるな」

「あ、今のアスマ三代目そっくり。さすが親子。腹立つ」

「五月蝿ェ黙れ面倒くせぇ」

「一回労働法見直した方がいいよねー」

「ちょっとアスマ、カカシが労働法ですって!」

「槍が降るな」

子供の話はどうなったよとツッコミそうになりながら、ゲンマは少なくなった紙コップの残りを飲み干した。

(なぁゲンマ、出産祝いって何贈ったらいい?)

(知るか。あー…もうカカシさん合コン呼べねーなァ)

隣でそわそわ浮き足立つライドウに苛々して、ゲンマは紙コップを握り潰すと屑カゴに放り投げる。

紙コップは縁に当たって跳ね落ちた。

(ノーコン)

(うっせーよ。お前が捨てろ)

ゲンマに小突かれて腰を上げたライドウは、待機所に駆け込んできた人物にぶつかり掛けて叫び声を上げてしまった。

「イイイイルカ!?」

「カカシさん!生まれましたよ!」

喜色満面のイルカにカカシが駆け寄る。

「ホントですか!?」

「はい!四匹です!うみの似の黒いのが二匹と、はたけ似のが二匹!」

手に手を取って待機所を後にしたカカシ達を見送って、ライドウはぽつりとこぼした。

「……匹?」

「良かったなライドウ、出産祝いが決まって」

呆然と立ち尽くすライドウの肩をアスマが叩いた。

困惑した表情のライドウに、髭面の男はニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべている。

「…え?何?どういう事すか?」

呆けていたゲンマの口から千本が落ちた。

「『うみの』と『はたけ』はイルカんちの近所に住む野良猫だ」

「猫かよ!!!!」

「アンタ達バカなの?男が子供生めるワケないじゃない」

紅の言葉に、待機所中の人間が空笑いした。




end

SとM

酔いに任せて出た言葉は限りなく本音に近かったのだけれど。

裏に秘めた想いを知られたくなくて、知って欲しくて。

彼と飲みに出掛ける度に徐々にエスカレート。

だってまさか、こんな風になるだなんて誰が想像できただろう。











「ま、今日は俺の奢りなんで。遠慮せずにやっちゃって下さい」

初めてカカシさんに飲みに誘われた時、馬鹿みたいに舞い上がった俺はふたつ返事で頷いた。

俺が普段行くよりほんの少し格の高そうな居酒屋(多分気を遣ってくれたんだと思う)

案内された個室の中は酒を楽しむにはピッタリの薄暗さで。

忍の習性か、無駄に利く夜目の所為で対面に座ったカカシさんと目を合わせる事も出来ず、俺は渡されたメニューに視線を落とした。

「此処ね、酒も美味いけど料理も美味いんです」

俺のオススメはコレとコレね。と、僅かに身を乗り出したカカシさんがメニューを指差す。

俺の目が釘付けになったのは、指差された茄子の揚げ浸しの写真ではなく、彼の指の白さと艶めかしさだった。

この手が、指が、物凄い速さで印を切り、命を奪い、ひとを守る。

まるで発光しているかのように、俺の瞼に焼き付けられたカカシさんの指。

カカシさんを意識し始めたのは、まさにその瞬間から。

酒を交わしている間も、俺の視線は悠然と動く彼の手ばかりを追っていて。

食事の美味さも彼の話も、上の空。

会計の時に慌てて財布を取り出した俺を制したカカシさんの掌が俺の手に触れ。

まるで思春期の子供みたいに真っ赤になって頭を下げ礼を言い、逃げるようにして場を辞したのだ。

自宅に駆け込んで後ろ手に扉を閉めた俺は、狭い玄関先にへたり込んで自慰に耽ってしまった。

あの指が、手が、俺のに絡みついて、淫らに動いたら―…

なんて即物的な、

三和土に飛び散ったモノを始末しながら、あまりに自分が情けなくて笑いが込み上げた。

我ながら何とも浅ましくて恥ずかしい思い出だ。

翌日も受付所に現れたカカシさんの顔をまともに見る事が出来なかったのは、仕方が無い事だと思う。

けれどそれでも、カカシさんは変わらず笑顔で俺を晩酌兼夕飯に誘い、俺も変わらずふたつ返事で頷いて。

目の前の上忍をオカズに自分を慰めてしまった後ろめたさも手伝って、普段よりかなり酒を過ごした或る夜。

戯れに口を滑らせた俺の言葉に、彼は目を丸くした後、さも可笑しそうに笑ったから。

早い話、俺は調子に乗ってしまったのだ。











「カカシさんは、エロいですよね」

「まーた言ってる」

「だってホントの事ですもん」

酒の席の冗談だとでも思っているのだろう。

カカシさんは、俺のある意味失敬な発言に今日も可笑しそうに笑った。

そんなの褒め言葉じゃなーいよ。なんて言いながら、カカシさんは冷や酒の入った切り子を煽る。

ぐ、と仰け反る喉の白さに内心ドキリとしながら、俺も杯を傾けた。

盗み見ているのがバレていないか。

カカシさんが冗談だと思っている俺の本心が、彼に伝わっていないか。

もし全てが晒されてしまえば、カカシさんとこんな風に席を共にする事はなくなってしまうだろうに。

それでも俺は、心の何処かでバレてしまえばいいと思って戯れ言を口にする。

貴方が笑うから。

「ね、イルカ先生?」

「なんですか?」

「具体的に教えてよ。俺のどの辺りがエロいのか」

カカシさんの言葉に、思わず銚子を取り落としそうになった。

「ぐ、具体的に…ですか?」

「うん。具体的に」

「どうしてです?」

「うーん…後学の為?」

カカシさんの真意がわからないまま、ほら早く教えて。と急かされて、俺は唾を飲み込んだ。

酒で潤っていた筈の喉は、妙に渇いている。

「えっと…カカシさんは色が白いです」

「ああ、そうね。よく言われます。…って、まさかそれだけ?イルカ先生の『エロい』『エロくない』の基準って」

「いや、あの…指が」

「指?」

「はい。指、が、その…」

じっと見つめられて、俺はしどろもどろに答える。

指がエロい。なんて、同性でなくても褒められた気はしないだろうと今更ながらに気が付いたからだ。

やっぱり、カカシさんは俺の戯れ言を不快に思っていたんだろうか?

「指、ねぇ…」

柔らかな間接照明に翳して、カカシさんは自分の手を見ている。

俺はそれを見ながら、舌先で僅かに唇を湿らせた。

「あ、」

「ん?」

「怪我したんですか?親指、傷になってますけど」

「さっすが手フェチのイルカ先生。目聡いね」

「お、俺は別に、手フェチってわけでは…」

「わかってます。コレは口寄せの時にね、こう、噛み切るでショ?」

カカシさんは親指を犬歯に当てると、ぶつりと噛み切った。

テーブルの上に、パタタッと血が落ちる。

「ちょっとカカシさん!何も実践…ん、うッ!?」

俺の言葉が途切れたのは、カカシさんがその指を、俺の口に突っ込んだからだ。

口の中に、じわじわと血の味が広がった。

「舐めて」

「ふぁ?」

「だって好きなんでしょ?俺の指。だから、舐めて。血が止まるまで、綺麗に」

俺の口に指を突っ込んで、空いた方の手で頬杖をついたカカシさんは、有無を言わさずといった声音でにっこり笑った。


これがカカシさんでなかったら。

タチの悪い冗談は止めてくれと、腕を掴んで指を引き抜いていただろう。

他人の、同性の指を舐る趣味なんて俺にはない。

けれど俺は、カカシさんの腕に手を添えて、恐る恐る咥内の指に舌を這わせていた。

「ん、」

傷に触れたのか、カカシさんの眉間に皺が寄る。

その声と表情に、腰の辺りに熱が集まるのを感じて、俺はきつく瞼を閉じた。

見ながら彼の指を舐めるなんて、きっと正気でいられなくなる。

「……っ、」

それからは、無我夢中。

赤ん坊のようにカカシさんの指にむしゃぶりついて、舐る。

血が、こんなに甘いだなんて知らなかった。

指や爪の形を確かめるように舌先を動かすと、カカシさんが感じ入った息を漏らすのが聞こえた。

「美味しい?」

「……」

「無視しないでよ。美味しいんでしょ?」

ぐ、と指先で舌を押さえられて、俺はコクリと頷いた。

「歯、立てないでね」

指を浮かせて俺の舌を解放したカカシさんは、恐らく口角を吊り上げて嗤っている。

きっと、恐ろしく綺麗で嗜虐的な表情に違いない。

「ん…」

舌全体で包むようにして、傷を舐める。

口の中に溜まった血の混ざった唾液を飲み込むと、自分の喉が上下するのがリアルにわかった。

「あ、気持ちい…上手だね。イルカせんせ…もっと飲んで」

熱っぽいカカシさんの声に、まるで彼自身に口淫を施しているような錯覚に陥りそうになる。

暫く彼の指を舐っていた俺は、居酒屋に居るだなんて事をすっかり忘れていて、隣室からワッという歓声が上がるのを聞き、不意に我に帰った。

「あっ、」

「アレ…もう終わり?もういいの?」

押さえていたカカシさんの腕を引き剥がして口の中から指を引き抜くと、赤ん坊に語り掛けるような甘い声で囁かれて頬に熱が集まるのを感じた。

「す、すみませ…あの、俺…」

「あーあ。指、ふやけちゃった」

柔らかな光源に翳されたカカシさんの指は、ぬらぬらと光っていて

「やっぱり…エロいです」

「ちょーっと!まだ言うの?……全く…どっちがエロいの!アンタの今の顔!」

「…え、」

ガシガシと頭を掻いたカカシさんは、這って素早く俺の横に来ると、濡れた親指で俺の唇を拭った。

「鏡見る?こんな涎でふにゃふにゃになった指なんかより、アンタの方が百万倍エロいよ」

「うわっ!?」

ベロリと唇を舐められて、思わず肩が強張る。

「俺の指舐めて勃っちゃったの?イルカせんせぇ、マゾっ気あるんじゃない?」

「違っ…」

「違わないデショ?」

カカシさんの手がするすると俺の股関を撫で上げて、不覚にも悲鳴が漏れそうになった。

「や、やめて下さい!」

「えぇ?今更それはないデショ。こんなになってツラそうだし…お陰様で血も止まったから、その御礼もしなきゃね」














「イルカせんせ、」

「…………」

「イルカせーんせ。ゴメンナサイって。こっち向いてよ、ねぇ」

結局、あの後カカシさんに口と手でいいようにイカされてしまった俺は、狭い座敷の壁に額を擦り付けて不貞寝を決め込んでいた。

「気持ち良かったデショ?あんなに沢山出たし…」

「う、五月蝿いです!」

「あ、こっち向いた」

「ゆ、指…」

「二本しか入れてません。いいじゃない、好きなんでしょ?俺の指」

「…っ、」

そうなのだ。

カカシさんの手淫と口淫に翻弄されている間に、俺の、本来、出すべき器官にカカシさんの指、が…。

「気持ち良さそうにキュウキュウ締め付けちゃって、カワイイったらないよね」

「も、黙って下さい!」

何が居たたまれないって、あんな所に指を入れられたってのに、実際気持ち良くて、尚且つあの指が俺の中に…なんて考えるだけでまた熱が戻ってきそうだっていうのに!

カカシさんは俺のそんな気持ちを知ってか知らずか、さっきからいやらしい事ばかり口にするのだ。

「カカシさんがエロいのが悪いんでしょう!?なんでこんな事するんですか!」

「だってアンタ、俺といる時ホントに俺の指しか見てないんだもん。自分で自分の指に嫉妬するなんて馬鹿みたいじゃない。意地悪したくもなりますよ」

「嫉妬…?」

「イルカ先生は俺と飲みたいんじゃなくて、俺の指と飲みたいのかなぁって思って。指ぶった切って贈ったら嬉しい?」

けろりととんでもない事を言うカカシさんに、開いた口が塞がらなくなる。

「指と晩酌って…どんな変態だと思ってるんですか、俺の事」

「違うんですか?手フェチのイルカせーんせ」

断じて俺は、手フェチじゃない。

カカシさんの指が好きだけど、けどそれはカカシさんの指だからであって。

「カカシさん!」

「はい?」

「すみませェん、失礼しまァす」

座敷の障子がピシャッと開いて、店員の女の子が顔を出した。

「ラストオーダーの時間なんですけどォ」

「…………」

「俺はもういいや。『色々飲んで』満足したし。イルカせんせは?まだ足りないんじゃない?」

「じ、充分です!ご馳走様でした!」

ニヤニヤ笑うカカシさんと激昂する俺を見比べ、店員の子は『失礼しましたァ』と障子を閉めた。

「ホントに満足した?」

指を二本立て、それをパクリとくわえたカカシさんは、それはもういやらしい笑みを浮かべている。

「…アンタはどうなんです?ホントに満足したんですか」

「んー…そうねぇ、」

ホントのホントは、全然足りない。

子供みたいに言うカカシさんに『実は俺もです』と答えて、俺達は釣銭も受け取らずに店を飛び出した。




end

プラチナの時・前編

俺の二十余年の人生で最大限に驚いた事と言えば、同性である男相手に勃起してしまった事。

一体全体、何が悪かったんだろう?

彼女と別れてからこっち、ご無沙汰だったから?

人手不足で超過労働気味だった俺と、血生臭い任務明けで疲労困憊だったカカシさんが、狭っ苦しい俺の部屋で泥酔状態になるまで安酒を飲みまくったから?

理由はよくわからない。

ご無沙汰だったのも一因だろうし、仕事に疲れた男ふたりが翌日は久しぶりの休みだからといって、酒を覚えたてのガキのようにバカみたいな飲み方をした所為もあると思う。

カカシさんと飲むのは楽しい。

内容はその時々によって真面目だったり羽目を外したりと様々だけど、翌日の二日酔いすら苦にならない程楽しいといえるのは間違いない。

でも昨日は、流石に行き過ぎた気がする





「んー…暑い。上、脱いでもいい?」

「どうぞどうぞ。扇風機独り占めしていいですよ」

俺んちにエアコンはない。

省エネとかでなくて、ただ単に金銭的な都合で置いて無いだけなのだが。

やけに蒸し暑い夜だったし、窓を開けていても生ぬるい風が入ってくるだけ。

そりゃあ六畳余りの狭い部屋で、図体のデカい男ふたりが酒を飲んでいれば、否が応でも室温は上がるし体温も上がるというものだ。

ビールのおかわりを取りに腰を上げた俺は、何だったらシャワーでも浴びますか。と言い掛けて、手にした缶をゴトンと落としてしまった。

「ん?何か言いました?」

バサリとアンダーを脱ぎ捨てたカカシさんの、所謂(いや、所謂と言わずとも)乳首に、目が釘付けになったから。

まず、その時点でオカシイだろ?

乳首とはいえ、同性の、男の、カカシさんの、だぞ?

カカシさんが色白なのは知っているし、顔の造形が綺麗なのも、同じ忍として惚れ惚れする程に体の均整が取れているのも知っている。

で、問題は乳首。

男のソレは、女性と違って何の役割も持たない。

痕跡器官と言われるソレは、俺達にとってはホントにただの飾りでしかない代物で。

まあアレだ、形状だけを突き付けられたら、持ち主が誰であれ興奮はする。

男とはそういうものだとメディアや雑誌なんかで刷り込みされてきたし、実際問題女性を抱く時には重要攻略起点とも成りうるワケで。

兎に角、人体における僅かなパーセンテージしか占めないその部分、それも云うに事欠いてカカシさんのソレに、俺の目は釘付けになった。

それは、覆しようのない事実で。

その時の俺がどんな顔をしていたかは想像に難くないが、同性に乳首をガン見されていたカカシさんはと言えば、阿呆丸出しな顔をしているだろう俺を見て、ニヤリと笑ったのだ。

「……吸ってみる?」

普段なら、アンタ阿呆ですか。と返してる。

ちょっと酔ってるぐらいだったら、吸ったら何か出ますか。と笑って返してる所だ。

で、昨日はといえば、

ベロベロだった。

いつ寝落ちしてもおかしくないぐらいベロベロだった。

だから俺はカカシさんの問いに黙って頷いて、落としたビール缶もそのままにカカシさんの乳首目掛けて突進したのだ。





カカシさんはビックリしていた。

そりゃそうだろう。

冗談で『吸ってみる?』と言ったのに、自分の乳首をガン見していた男は真顔で頷いて、尚且つ目にも止まらぬ速さで乳首数センチにまで迫ってきたのだから。

俺なら、自分でネタを振っといたとしても、乳首数センチまで迫られたら渾身の力で殴るか蹴り上げてる。

「イルカせ、」

吸う?と訊かれて頷いたのだから、吸わねばなるまい。という妙な義務感が俺を駆り立てていた(我ながら阿呆だと思う)

制するようなカカシさんの呼び掛けを無視して、俺はカカシさんの乳首に吸い付いた。

女性と違って乳房は無いし、小粒だから吸いにくい事この上なかったけれど。

「あっ、センセ…」

カカシさんもカカシさんだ。

あっ、じゃねーだろ。

ちょっと鼻に掛かったような、低いけれど甘えた声に、そういや俺は教師だったな。と、この状況で思い出させるような呼称。

そのふたつが合わさると『イケナイ事』をしている感満々で、ドキドキするやら興奮するやらで俺は思わずカカシさんを見上げた。

もしそこで、眉をしかめているとか嫌悪感のカケラでも窺い知る事が出来ていたら…。

俺はカカシさん相手に勃起なんかしていなかった。

これだけは断言出来る。

すみません。と謝って、冗談が過ぎました。と頭を下げる事が出来た筈だ(多分)

しかし、あろうことか乳首に吸い付いた俺を見下ろすカカシさんは、紅潮した頬と戸惑うように下がった眉、僅かに潤んだ瞳に確実に読み取れるほどの期待の色を浮かべていたものだから、俺の何かがそこでプツンと切れた。

ガシッとカカシさんの頬を両手で挟んで、噛み付くように唇を重ねて。

自分でも上手いんだか下手なんだかわからないけれど(何しろ比べる対象がない)、兎に角夢中でキスをしてカカシさんの綺麗な顔をヨダレまみれにした。

征服欲と充足感とでもいうのだろうか?

此方が舌を差し込めば、たどたどしく舌を差し出してくる感じとか。

俺の腰に恐る恐る回した腕の、力の弱さとか。

年上で、男で、上忍のカカシさん。

他里の忍にも名を知られているような凄いひとが、俺にキスされて小さく震えているなんて。

理性が焼き切れるには充分過ぎた。

で、俺は、恥ずかしながら勃起したワケだ。

流石にそれを知られるのは恥ずかしくて、少しだけ腰を引いたら逆に抱き寄せられて思わず唇を離した。

「…っ、」

「イルカせんせ…」

とろんとした目で此方を見上げたカカシさんは、半開きにしていた濡れた唇をぺろりと舐めて、こう言った。

「俺もイルカせんせーのおっぱい吸いたいな」

クドいようだが、普段ならアンタ馬鹿か。と返してるし、少しだけ酔ってたら吸っても何も出ませんよ。と返してる。

言い訳にしかならないが、兎に角ベロベロだったのだ、俺も、多分、カカシさんも。

今思い返すと、昨晩の俺の元に飛んで行ってぶん殴ってやりたい。

「…ど、どうぞ?」

キスの余韻もそのままに、俺はアンダーを捲ってカカシさんの眼前に乳首を晒した。

多分、確認したワケではないが、物凄く気持ち悪かったと思う。

プラチナの時・後編

俺の容姿は、カカシさんと違って十人並みだ。


俺の特徴として一番に挙げられる顔の真ん中を走るこのデカい傷がなければ、一度会ったぐらいではすぐに忘れられてしまうぐらいに。

ガタイもそう悪くない。

内勤ではあるけれど邪魔にならない程度に筋肉は保っているし上背もあるから、贔屓目に見ても貧弱な方ではないだろう。

肌もどちらかといえば浅黒い方で、カカシさんの真横に立てば尚更際立つ。

一言でいえば『ムサい』

ムサい、二十代半ばの男が、恥じらいながら同性に乳首を晒して差し出している。

シュールだなんて笑えない。

一晩明けてみれば、記憶から消してしまいたい程バカな事は沢山してきたけど(若さ故の過ちってやつだ)流石にコイツはヒドい。

消した上から真っ黒に塗り潰して、ぐしゃぐしゃに丸めて燃やしてしまいたい。

(本気で酒を止めようと思う、今更遅いけど)





「それじゃ…」

気付いたらガッと抱え上げられて、あれよあれよという間に寝室に連れ込まれた。

俺とそう変わらない体格のカカシさんの腕に軽々と抱えられて、少しだけ慌てる。

乳首を吸うだけなのに寝室?という疑問が湧いたのも束の間、ドサッとベッドの上に落とされて。

見上げると、雄の目をしたカカシさんと視線がかち合った。

キスされて、上着を捲り上げられて。

クニクニと指先で乳首を刺激されると、アッ、と小さな声が漏れた。

いやいや、アッ、じゃねーだろ俺!

「ふふ、かーわいい」

かわいくねーし!

そう言おうとした口はカカシさんの唇に塞がれて。

酸欠に陥りそうな程に咥内を貪られて、あちこち体を撫で回された。

挙げ句下着の中にまで手を突っ込まれて、ついに悲鳴を上げてしまったのは情けない俺。

「ギャッ!」

「ギャッ、って……色気ないなぁ…イルカせんせ」

「だ、だって…」

「気持ちいいんでしょ?ほら、勃ってる」

急所をギュッと握られて、体が強張った。

「だ、だって、だって…」

急に怖くなって、ガキみたいな言葉しか出てこなくなった。

「だってじゃなーいの。怖がらなくても大丈夫。優しくするから」

今なら言える、優しくって何だよ!って、こんなの酒が入ってたとしてもオカシイ!って。

でも、その時はカカシさんの言葉にひどく安心したのだ。

それでもって、優しくしてくれるならいいかなって思ってしまった。

「…いい?」

そう囁いたカカシさんは涙が出そうになる程カッコ良くて、柄にもなく胸がキュンとした。

俺の腿の辺りに押し付けられたのは紛れもないカカシさんの興奮の証し。

ムサい男の俺なんかに興奮してるのかって驚きと、誰かにこんなに熱っぽく見つめられて、求められた事があっただろうかという喜びが体中を支配して。

…で、ぶん殴りたい俺、再び降臨。


ああ、恥じらいながらコクリと頷いたのが、柔らかな体を持った、目も眩むような美女だったら良かったろうに





そこからの記憶は曖昧だ。

途切れ途切れで、覚えてなくていいような事ばかり覚えている。

優しくする。と言ったカカシさんは、意外な事に同性を抱くのは初めてだったそうで。

互いの性器を扱いて一度ずつイッた後、入れたい。と言い出したカカシさんは、潤滑油代わりになりそうな物を探しに俺から離れて台所に向かった。

「どっちがいい?」

戻ってきた彼の手には胡麻油とラー油。

確かに油だし、そのふたつはなかなか減らないとポロリとこぼした事もあったけど。

「せめて…サラダ油にして下さい」

ラー油はねーだろ。

アソコをおっ勃てたまま真っ裸で台所と寝室を行き来するカカシさんに吹き出しそうになりながら、カカシさんが戻って来るのをドキドキして待った。

恋のような胸の高鳴りは、そこで終わり。

そこからは過剰な運動による心臓の動悸だけ。

『入れたい』だなんて言うのは一言で済むけど、本来は排泄器官である部分にあれだけの質量を要するモノを受け入れられるようにするには、かなりの労力がいる。

あちこち油まみれでベタベタ。

必死で俺の中を解すカカシさんと、必死で彼を受け入れようと息を吐く俺。

情熱的なとか、とろけそうに甘い睦言とかはなくて、例えるならそう、泥レスとかバラエティー番組でお馴染みのローション相撲みたいな。

馬鹿馬鹿しくて、なんて滑稽。

使い古したシングルベッドはギシギシ軋んで五月蝿く、階下から苦情がくるんじゃないかと呟いた俺をチラッと見たカカシさんは、俺を乗せたままの布団をフローリングに引きずり落とした。

扇風機は隣の部屋へ置きっぱなしだったけど、外に声が漏れるのを危惧して窓も閉めて施錠して。

成人した男ふたりが、汗と、油と、精液まみれ。

でも、それでも夢中だった。

俺がこれまでしてきたモノは、セックスなんて呼べるようなモノじゃなかったと認識を改めなければいけないほど気持ちが良かったし、疲れてるとか酒が入ってるとか関係無いぐらい勃起したし声も精液も、兎に角色々いっぱい出した。

ドロドロになって満たされて、倒れるように折り重なって、眠った。











「おはよ」

「…おはようございます」

仕事で疲れていてセックスで疲れていて、軽く二日酔いの気配もする。

俺達は抱き合っている間も、互いに好きだとは言わなかった。

昨夜の事は酒が入った上での戯れで、性欲処理で、それでもって…。

「イルカせんせ?」

「カカシさん」

「何?」

「付き合って下さい」

「…え?」

「こうなったから、とかじゃなくて…俺は今後も貴方とこうしたい。キスしたいし、抱き合いたい。一緒に、いたいです」

「…俺が好き?」

「はい。たぶん」

「曖昧だねぇ」

「カカシさんは?」

「うん。俺もたぶん、イルカせんせが好き。じゃなきゃ、こんなに気持ちにならないよね?」

そう笑って俺にキスしたカカシさんの髪は、キラキラ眩しく光っていた。

ケツは痛いやら何かまだ挟まってるような妙な感じだけど。

光るカカシさんの髪を見ていたらどうでもよくなった。

出来れば毎朝、このキラキラが見られますように。

そう願って、俺もカカシさんにキスをした。




end

幼い恋愛感情

任務終了予定期日を大幅にオーバーして里に戻った日。

五代目へ報告に向かって、此方の謝罪より何より先に伝えられたのはイルカ先生の事だった。

「イルカ先生が怪我!?」

「大きな声出すんじゃないよ。別に何処かの忍にやられたとか任務中にヘマしたとかそんなんじゃないんだ」

二日酔いらしい五代目は、ひらひらと手を振って俺を呼び寄せる。

大蛇丸の仕掛けた木ノ葉崩しからややあって、五代目火影に就任した綱手様は昔と変わらない美貌に僅かな翳りを乗せて声を潜めた。

「精神面のフォローは、本来私や部隊長の仕事なんだろうけどね。イルカは真っ直ぐに見えて、何処か扱い難い奴だろう?」

「それは…重々承知してます」

「本当に、怪我自体は大したことないんだよ。階段から落ちて足首捻っただけさ」

「捻挫…ですか!?」

(忍なのに!?)そんな疑問がまず湧いたけれど、忍だって人間だ。

風邪も引けば突き指だってするし、捻挫ぐらい……イルカ先生ならやるかも知れない。

「ああ、軽い捻挫だ。暫く大人しくしてりゃ問題はない。……ただ、本人が相当落ち込んでいてね、次の任務じゃ部隊長を任せる気でいたんだが」

「断られたんですか?」

「アイツがまともな精神状態なら無理矢理にでもやらせてるよ。ほら…ぼちぼちだろ?」

「…? 何がです?」

「三代目の一周忌」

(ああ…そういう事か)

イルカ先生が本当の親のように慕っていた三代目火影が大蛇丸の凶刃にかかってそろそろ一年になる。

日々の慌ただしさに紛れていても或る日突然、例えばカレンダーの日付なんかが目に留まって、不意に湧き上がってくる哀惜の念は、じわじわと彼を蝕んでいたのかも知れない。

イルカ先生は、常に気丈に振る舞うひとだから。

「俺に…何が出来ますかね」

「自分で考えな。お前だから言ってんだ。…ま、アスマが居れば奴に頼む所だが生憎任務で里に居なくてね」

「俺はアスマみたいに兄貴代わりってのは真っ平御免ですけど」

「ふん、お前のいいようにやればいいさ。…ナルトもいなくなって、張り合いなくしちまってるのかも知れないね」

「ナルト代わりも御免です」

「いいから、さっさと行きな。シズネに薬貰っていけば訪ね易くもなるだろ」

ついでのように『任務ご苦労』と労われ、俺は軽く頭を下げて火影の部屋を後にした。













現場を見ていたライドウの話によると、短期の護衛任務を終えたイルカ先生は受付所に報告書を提出。

その後同僚と二言三言言葉を交わして、それからぼんやり歩き出し、ものの見事に階段を踏み外したらしい。

誰と話していたかまでは覚えていないライドウに詰め寄った所で、イルカ先生が何に気を取られてそんな事になったのかまではわからない。

シズネから湿布薬を受け取って、ぶらぶらとイルカ先生の家へと向かう。

慰めたり叱咤するのは苦手だ。

特に、誰かを失った痛みなんてものは、職業柄厭というほど知っているから。

任務終わりで疲れていても、イルカ先生に会える僅かな時間に心は躍って、俺は僅かに軽い足取りで彼の家のベランダへ飛び乗った。

閉じられたカーテンの向こうへ向けて、少し小さめのノックを二回。

ガタガタと何かが倒れる音がして、勢い良く開かれたカーテンの向こうに、イルカ先生の驚いた顔が見えた。

「カカシさん…!?」

「こんばんは。足の具合はどうですか?」

笑顔で湿布薬の袋をちらつかせると、イルカ先生は照れくさそうに頬を掻く。

「五代目に見ていただいたお陰で…大したことはないんです」

どうぞと招かれてサンダルを脱ぎ、通い慣れた部屋へと足を踏み入れる。

卓袱台の上には持ち帰りらしい書類と、色とりどりの絵葉書が散らばっていた。

「…?」

イルカ先生の視線が、刺さるように痛い。

「イルカ先生?俺の顔に何かついてます?」

「本物、ですよね?」

「…へ?」

「影分身とかでなくて、ホントのホントに、本物のカカシさんですよね?」

階段から落ちた時に、頭まで打ったんだろうか?

「足挫いて、熱出てます?」

「だ、だって、カカシさんの隊が消息を絶ったって…」

ぐずぐずと鼻を啜るイルカ先生に、言葉が詰まった。

「…俺を心配したの?」

「しましたよっ!しちゃいけないんですかっ!?」

「いけなくないデス……てか、アレ?もしかして、その捻挫も…?」

「貴方の所為ですって言ったら満足ですか!」

えぇえ!?そこで逆ギレしちゃうワケ?

ちょっとゴメン。不謹慎かも知れないけど、顔が緩んで緩んで仕方がない。

「ちょっと…何笑ってんですか。俺怒ってんですよ!?アンタ部隊長だったんでしょう!?遅れるなら遅れるで、里に連絡のひとつぐらい…うわっ!?」

ワーワー喚くイルカ先生の腕を引いて、ギュッと抱き締める。

途端におとなしくなった彼の耳元に唇を寄せて、囁いた。

「階段踏み外して足挫いちゃう程、俺のコト心配したんだ?」

「し、したって、言ったじゃないですか…」

「ふぅん?」

「な、何ですか?ちょっと、離して…」

「三代目の一周忌は?」

「はい?」

「もうすぐ三代目の一周忌ですよ。それでヘコんでるかと思ったのに」

真っ赤になっていたイルカ先生は、みるみるうちに青くなった。

「うわ…俺……すっかり忘れて…」

「ふふ、俺、嬉しいです」

「笑い事じゃないですよ!」

笑うなと言われても、弛む頬は抑えられない。

俺は、彼の『いちばん』になりたいのだ。

ナルトより、三代目より、不遜ながら彼の両親よりも。

イルカ先生にとって、誰よりいちばんでありたい。

口に出したら、きっと彼は怒るだろうけど。

僅かな間でも、彼の中でいちばんになれた事が嬉しくて。

三代目すみません。と呟くイルカ先生を抱きしめたまま、一周忌に贈る三代目の弔花は少し豪勢な物にしようと思った。




end