夕暮れに手を繋ぐ・前編
「かーしゃん」
「ん?」
イルカ先生との待ち合わせ中。
ポケットに突っ込んでいた手をグイッと引かれて、愛と欲の活字で埋まる愛読書から目を離して下を見ると…。
「…何処の子?」
三歳くらいの男の子が俺を見上げていた。
「かーしゃん」
「俺は君のお母さんじゃなーいよ」
イチャパラを腰のポーチに仕舞い、しゃがんで目線を合わせる。
ナルト達を相手するようになって子供の扱いにはそこそこ慣れたと思うけど、言葉で意志の疎通が出来ない小さな子供は少し苦手だ。
(迷子?)
ぷにぷにした手足に、少し赤みかかった頬。
じっと此方を見るくりくりした真っ黒な目には俺が映っていて、何でこの子は俺に声を掛けてきたんだろう?と、ふと思う。
サクラから『胡散臭い』と称される俺の風体は、お世辞にも子供ウケするとは思えない。
怖がって泣かれるならまだしも、目の前の男の子はニコニコと笑っていて、(どうしたもんだかなぁ)と考えている俺に抱きついてきてしまった
「えっと…ぼく、お名前は?」
「いうか!」
「???…言うか?言うワケないでしょってコト?」
俺が聞くと、男の子はぶんぶんと首を横に振った。
高い位置で結われた、尻尾のような髪が俺の顔を掠める。
(アレ、なんかデジャヴ…)
「いぅかなの!」
「いぅか?えーっと…苗字、上のお名前は?」
「うみにょ!」
うみにょ、いぅか?
…うみの、いるか?
「もしかして…イルカ先生?」
俺の言葉にパアッと笑ったその顔の真ん中には、真一文字に走る鼻の傷がうっすら見えて、目の前がグラリと揺れる。
「かーしゃん?」
これはアレだ、なんかアレ、何か色々あって疲れてんだ俺。
最近写輪眼の使い過ぎで視力も落ちてるし、大体俺のイルカ先生はこんな小さくないし大人だし。
生えるべき所にきちんと毛の生えた立派なオトナで、アレだってしっかりアレしてるし。
そりゃ子供の頃のイルカ先生は可愛いだろうなぁって思ってたけど、実際見てみたらやっぱり可愛いけど、でも。
俺が好きなのは大人のイルカ先生であって、俺は稚児趣味はないしイルカ先生がこんなんなっちゃったら俺なんにも出来ないじゃない!
とりあえず抱え上げて、火影屋敷にダッシュした。
「ごめんなさい!」
桃色の髪が、バサリと揺れる。
小脇にイルカ先生(小)を抱えた俺に向かって頭を下げるサクラの横には、五代目火影綱手様と、彼女のお付きのシズネが居た。
「あの、こりゃ一体どういう…」
「わ、私が悪いんです!」
「…シズネ、お前は黙ってな」
綱手様に睨まれたシズネは、あひィ!と叫んで黙り込んでしまった。
「五代目、この子は…イルカ先生で間違いないんですよね?」
「ああ、コイツらの所為でそんな姿になってるが…ソイツは間違いなくイルカだよ」
サクラとシズネは、新しい丸薬の精製をしていたらしい。
目指す効用は疲労回復だったらしいが、途中から変な方向に暴走し始めてしまった。
『師匠みたいに胸が大きくなりたいんです』と言ったサクラに『綱手様がいつも飲んでる栄養ドリンクも入れてみますか?』とシズネが提案。
その後も美白だ美肌だ便秘解消だと、女性の悩みを解決する為の色々なサプリメントや生薬、漢方をぶち込みまくり。
結果、配合も配分も滅茶苦茶な薬が出来上がって、運悪く屋敷を訪ねてきていたイルカ先生が餌食になった。
「イルカ先生、最近疲れが取れないって…」
涙目のサクラは、よかれと思ってイルカ先生に劇薬紛いの自称疲労回復丸を渡したのだそうだ。
生徒思いのイルカ先生は、それは喜んで飲んだだろう。
「死ななかっただけマシだよ、まったく…」
呆れ顔の五代目は二人の頭に拳骨を入れた後、俺に向き直ってにんまり笑った。
「カカシ、」
「はい?」
「コイツらが作った薬は配合も何もあったもんじゃないから解毒剤も作れない」
「毒って…」
おずおずと言葉を発したシズネの頭に、再び拳骨が落ちる。
「術にかかっているワケでもないから、解術も出来ない。わかるな?」
「…はあ」
「効果が切れるまでお前がイルカの世話をしな。なに、二、三日もすれば元に戻るさ」
「は………えっ!?」
「何情けない声出してんだ。まさか、出来ないとでも言う気かい?」
「出来なくはないと思いますけど…」
…俺でいいんだろうか?
小さな子供の扱いに慣れているワケじゃないし、もっと他に適任がいるのでは?
「カカシ、お前今日、イルカと何か約束してたんだろう?」
「何で知ってるんですか」
「薬の効果が現れ始めて、イルカが一番最初に言った言葉が『カカシさんとの約束があるのに、どうしよう』だったそうだよ」
「とりあえず服を着替えさせて、師匠を呼びに行ってる隙にイルカ先生がいなくなってて…」
俺との待ち合わせ場所に来たってのか。
「イルカ先生、アナタって人は…」
「かーしゃん」
「イルカ先生、俺はお母さんじゃなーいよ」
「カカシさん、って言ってるんじゃないか?」
まだきちんと喋れないのに、こんなに小さくなっても俺の事を思ってくれてるイルカ先生。
「五代目、イルカ先生は俺に任せて下さい」
「ああ、頼んだよ」
「イルカ先生、変な事されたらすぐに逃げて下さいね」
…サクラ、お前俺の事どんな人間だと思ってるワケ?
思わず感激してイルカ先生の世話を引き受けてしまったけど、一体どうしたものか解らない。
とりあえず紅に話を聞こうと上忍待機所に向かった。
「なんだカカシ、そのガキ」
「ガキじゃないよ、イルカ先生」
「はあ?」
「だから、イルカ先生なんだってば。お前知ってんでしょ?子供の頃のイルカ先生」
髭熊……アスマは、俺の手を握って立っているイルカ先生を抱え上げてまじまじと顔を見た。
「こんなちっせぇイルカは知らねーなぁ」
そうか、イルカ先生がアスマと仲良くなったのは九尾事件の後なんだっけ。
「可愛いなぁ、オイ。アスマって言ってみ」
「…あしゅま?」
素直に名前を呼ぶイルカ先生に父性が目覚めたのか、アスマは破顔してグリグリと頬をこすりつける。
「ちょっと止めてくんない?髭が移るから」
「移るか馬鹿。イルカ、腹減ってないか?なんか飲むか?」
知らなかった、アスマって意外と子煩悩なんだ。
「おひげ!」
イルカ先生は髭に興味津々みたいで、キャッキャと笑って自販機に小銭を入れるアスマの髭を引っ張っていた。
(かーわいーの!)
何よこの気持ち、俺も父性に目覚めちゃったワケ?
「アスマ…その子何処の子?」
部屋に入ってきた紅の刺すような視線に、アスマは苦笑いしながらイルカ先生を俺に渡す。
「アスマ!?」
「馬鹿、イルカだよイルカ。な?カカシ」
焦るアスマが面白くて、答えずにいようかと思ったけど。
紅の顔が怖いから直ぐに答える事にする。
「そ、イルカ先生だよ。アスマの隠し子とかじゃないから安心しなって」
「イルカ…?嘘でしょう?」
「可愛いデショ。アスマの遺伝子なんかひと欠片も入ってないから当然だけど」
「どういう意味だそりゃ」
「そのままの意味だけど?」
場が和んだ所で、二人に掻い摘んで経緯を説明した。
紅はイルカ先生を膝の上に乗せジュースを飲ませていて、アスマは煙草の煙を吐いて『めんどくせぇ事になったなぁ』と呟いた。
「普通に面倒見ればいいんでしょ?アンタでも大丈夫よ」
「だってねぇ…なんか怖いんだよね」
「怖いって、何が?」
「理性が持たねぇ、とかじゃねーのか?」
肩を揺らして笑うアスマを睨み付ける。
サクラといいアスマといい、俺を何だと思ってるんだか。
「小さくてふわふわしてるデショ。壊しちゃいそうで怖いの!」
そうなのだ、いつものイルカ先生は大人で、しっかりとした身体の持ち主。
ギュッと抱きしめても大丈夫、壊れたりしない。
でも、この子はどうだろう?
あちこち小さいし、ぷにぷにしてるけど細っこいし、何か怖い。
「力の加減ぐらい出来るでしょ?」
「んー…自信ないんだよね」
「忍犬と変わりゃしねぇよ、同じように扱え」
「忍犬達は、放り投げても受け身が取れるじゃない」
知らないだろうけど、意外と扱い荒いんだよ、俺。
「放り投げる気なの!?」
「いや、投げないけど!わっかんないかなぁ…」
わかんないんだろうな、アスマや紅には。
「いっそ、アスマが預かってみる?アタシも手伝うわよ?」
紅の提案には頷きかねる。
俺のイルカ先生だし、俺が五代目から引き受けたし。
アスマも首を横に振った。
「俺は今夜から任務だ。悪いなカカシ」
「最初からアスマに頼む気ないしー」
「じゃあアタシが連れて帰ろうかな。ね、イルカ、お姉さんとこ来る?」
イルカ先生は紅を見上げて、ふるふると首を振った。
「いぅか、かーしゃんといく!」
紅の膝からぴょんと飛び下りたイルカ先生は、走り寄って俺の膝によじ登ろうとする。
そっと抱え上げて膝の上に座らせると、にっこりと笑うイルカ先生。
可愛いんだけど…やっぱり怖いなぁ。
「あら、フラれちゃった」
「良かったな、カカシ」
頑張れよ。と笑うアスマと紅は、イルカ先生の頭を一撫でして待機所を後にした。
「…ま、二、三日の辛抱だよね」
イルカ先生の手を引き、スーパーに買い出しに向かった。
服はまあ、俺のでなんとかなるだろうし、二、三日で戻るなら不要な物は買わないに限る。
紅は『色々着せてみたい』と着せ替え人形にしようとしていたけど。
問題は食事だよねぇ。
小さい子って、何食べさせたらいいんだろ?
「パックン、イルカ先生見ててね」
カートに乗るのを嫌がったイルカ先生をパックンに任せて、店の中を見て回る。
途中立ち話をしているヨシノさんとツメさん、母親達の長話にうんざりした顔で荷物持ちに付き合わされているシカマルとキバを見つけた。
「あ、カカシ先生」
「…ちわっす」
「よっ、親孝行?偉いねぇお前ら」
早く帰りたい、めんどくせぇ、と口々に言う息子達を小突きながら、ヨシノさんとツメさんは笑った。
「カカシ先生は何してるの?」
「買い出しなんですけど…何を買ったもんだかさっぱりで」
「いぅか、コレ!」
頭を掻く俺の服の裾を引っ張るイルカ先生の手にはお菓子があって、その横には既にげんなり顔のパックン。
「あらっ、何処の子?」
「はは…実は…」
かくかくしかじかでイルカ先生なんですよ。と説明すると、母親達は目を輝かせた。
「可愛いわねー」
「ホント、シカマルも小さい頃はこれぐらい可愛かったのに」
「今は可愛くないってよ、シカマル」
「黙れキバ。別に可愛いなんざ言われたくねーよ、めんどくせぇ」
「ていうか、イルカ先生ってマジで?」
キバがほっぺを突くと、イルカ先生は『や!』と俺の後ろに隠れてしまう。
「キバ、イジメんじゃないよ」
「へーい」
ツメさんに怒られたキバは、つまらなさそうに唇を尖らせた。
「いぅかといっしょ!」
イルカ先生が指差す先はシカマルの髪で。
「あら、ホントねぇ、シカマルお兄ちゃんといっしょね、イルカ先生」
ニコニコ笑うヨシノさんに、シカマルは呆れ顔だ。
「シカマルお兄ちゃんって何だよ…先生のが年上なのにおかしいだろ」
うん、確かにね、なんか色々おかしいよね。
でもみんな、普通に受け入れてるし。
木の葉は今日も平和だねぇ。
夕暮れに手を繋ぐ・後編
『子供達の小さい頃の服があるから、後で届けさせるわ』と言うツメさんの言葉に『お願いします』と頭を下げて。
『それなら食事は私が見立てましょう』と言うヨシノさんの言葉に甘えて、買い物を手伝ってもらった。
そんなに刺激の強い物じゃなければ大人と同じで構わないらしい。
というか、今は子供になってるだけで、イルカ先生は元々大人なんだった。
(忘れちゃうよね、どうにも)
だって全然言うコト聞いてくれないんだもん。
買い物の間、イルカ先生を見ていてくれたシカマルとキバも『任務の方がマシ』とへばっていた。
若いくせに何言ってんの。と他人事のように笑った俺だったけど、家に帰ってから嫌という程思い知る事になる。
眠いとゴネ始めたイルカ先生を背負い、両手に買い物袋を下げて俺の家に帰ると、出迎えてくれた忍犬達はみんな一様に不思議そうな顔をした。
うん、気持ちはわかる。
感じるチャクラはみんなの大好きなイルカ先生なのに、こんなに小さくなってんだもんね。
「イルカ先生、家につきましたよ」
目を開けたイルカ先生はぼんやりと辺りを見回した後、忍犬達を見て奇声を上げた。
「わんわ!」
「ん、わんわんだね。良かったねー」
買った物を冷蔵庫に仕舞い、ベストと額当て、口布を取る。
米を洗って炊飯器にセットして、風呂掃除を済ませてリビングに戻ると、忍犬達はぐったりとしていた。
「アレ?どーしたのみんな」
「…拙者は帰る」
パックンがそう言うと、忍犬達はぼふんと煙を上げて消えてしまった。
(薄情者!…いや、薄情犬?薄情犬!)
「かーしゃん、わんわは?」
「あー…わんわん達はねぇ、おうちに帰ったんだよ」
しょぼんとしてしまったイルカ先生の頭を撫でる。
「イルカ先生、ご飯の前にお風呂に入ろう?」
お風呂、と聞いて目を輝かせ、さっさと服を脱ぎ始めるイルカ先生。
普段なら『嫌です!』なんて突っぱねられるのに…ちょっと無防備過ぎませんか、イルカせんせ。
いや、だからって何かしようとか思ってないけどね。
「疲れた……」
シカマル達じゃないけど、これじゃ任務の方が遙かにマシだ。
Sランクの任務が可愛く思える。
風呂場で遊び倒したイルカ先生は、食事の間もテンション最高潮。
食べさせてあげようとしたら『や!』と断られて、服やらテーブルやらをベッタベタにしてご飯を食べ終わった。
先に食事にすれば良かったと思っても後の祭り。
仕方なくもう一度風呂に入れて、髪を乾かしている間にうとうとし始めたイルカ先生は、電池が切れたかのようにコテンと寝てしまった。
「寝てるとおとなしいんだけどねぇ…」
子供の頃はナルトに負けず劣らず腕白だったとイルカ先生は言っていたけど、幼児だから拍車が掛かってるんだろうか?
理性とか常識とかが吹っ飛んでいるイルカ先生も見てみたいと思っていたけど、やっぱり普段の真面目な彼の方がいい。
俺のベッドで布団にくるまるイルカ先生の柔らかい頬を指先でそっと押すと、くすぐったそうに身を捩って笑った。
(かーわいーの)
でもね、やっぱり俺はいつものイルカ先生がいいなぁ。
キスしたり抱き締めたりしたいし、きちんと会話をしたい。
(早く戻って)
まだ一日目、早くて明日。
「長いなぁ…」
一日千秋、こんな時に使う言葉なんだろう。
「もし戻らなかったらどうしよう…ね?」
何となく呟いた言葉が現実のものになろうとは思いもよらず。
俺は小さなイルカ先生を包むようにして眠りについた。
それから早一週間、イルカ先生は一向に元に戻る気配がなかった。
二日目、三日目はおとなしく様子を見ていたけど、四日目には流石に不安になって五代目の所へ駆け込んだ。
『予想外に効果が長引いてるみたいだね。…ま、もう暫く様子を見ようじゃないか』
と軽くあしらわれて、早々に追い出されてしまった。
(アンタの弟子がやった事でしょ!?)
喚き散らしたい気分になったけど、サクラの泣きそうな顔を見たら何も言えなくなってしまって。
責任を感じる必要はないよ。なんて言ってやれる余裕もなく、俺はイルカ先生を連れて火影屋敷を後にした。
「なんて顔してんのよ」
すぐそこで会ったゲンマとライドウにイルカ先生を預けて待機所でくすぶっていると、紅に背中を叩かれた。
「育児疲れって顔ねー、アンタ大丈夫?」
「大丈夫じゃなーいよ」
ホントに、大丈夫じゃない。
幼児になったイルカ先生の世話は、自分でも驚くほど慣れたし、苦には思わなかったけど。
はっきり言って、アッチの方がツラい。
一週間もシないなんて、イルカ先生と付き合ってから一度もなかったから。
かといって昔みたいに花街に出掛ける気にはならないし、自分で慰めようにもイルカ先生が同じ部屋に居てはそれもままならない。
明け透けに紅に愚痴ると、苦笑いを返された。
「たまにはいいんじゃない?禁欲的で」
「冗談デショ。俺は健康的で一般的な成人男性なの。あー…イルカ先生とシたいよー!」
「何デケぇ声で馬鹿な事言ってんだ」
頭を小突かれて振り向くとアスマが立っていて、その腕にはイルカ先生が抱かれていた。
「ゲンマとライドウは?」
「五代目に呼ばれてったぞ。ガキの前で馬鹿な話してんじゃねーよ」
「だってホントの事だもん」
「もん、じゃねぇだろ。イルカ、お前はこんな大人になるなよ?」
だからね、みんな忘れてるみたいだけど、イルカ先生は元々大人なんだって!
家に二人でいたらホントに育児ノイローゼになりそうだったから里中連れまわしてみたら、行く先々で猫可愛がりされたイルカ先生。
そりゃあね、素直で元気で可愛いけどさ。
大人なイルカ先生はそれだけじゃなくて、時折ドキッとするほど艶っぽくて…。
「カカシ、思考が口から出てるわよ」
「お前がそんなだから、イルカが元に戻らないんじゃねーか?」
「…何ソレ、どういう意味?」
「だからな、いつまで経ってもイルカが元に戻らねぇのは、本人が戻りたいって思ってないからじゃねーのか?」
アスマの言葉に、ガツンときた。
…俺のせいで、イルカ先生が元に戻らない?
『戻りたいと思っていない』
(…なんで?)
理由が沢山あり過ぎてわからない。
甘え過ぎてたから?
一晩に何回もしようってしつこかったから?
いやでも、やっぱり好きな人となら一晩で何回もしたいし、任務とかで離れる前なんかはヤリ溜めっていうかついつい我を忘れて頑張っちゃうけど。
「カカシ、思考が漏れてるって!」
「ガキに変な話聞かせんなっつってんだろーが!」
二人に突っ込まれて我に返ると、イルカ先生はキョトンとして俺を見ていた。
「…ねぇ、イルカ先生?俺が嫌になったから元に戻らないんですか?」
夜、家に帰ってきて食事と風呂を済ませ、イルカ先生をパジャマに着替えさせながら聞いてみた。
されるがままのイルカ先生は、意味がわからないといった顔で俺を見ている。
「かーしゃん…?ぽんぽんいたいいたい?」
痛いのはお腹じゃなくて、胸だよ。
心配そうに俺を覗き込むイルカ先生の顔は、幼いけれどやっぱり俺の好きなイルカ先生で。
「イルカせんせ…」
たまらずにギュッと抱き締める。
ああもう、力の加減なんて出来ない。
我慢していた分を取り戻すように、小さな身体を抱き締めると、腕の中で悲痛な声が上がる。
「やー!いたいの、めっ!」
「ごめんね、ごめんなさいイルカ先生…」
泣きそうになって、言葉に詰まった。
早く元に戻って下さい。
「アナタじゃなきゃ、俺は駄目みたい…」
「……」
「寂しくて死んじゃいそう…」
「死ぬとか軽々しく言うなって、俺、前に言いませんでしたっけ?」
聞き慣れた声。
小さな子供のものじゃなくて、俺の大好きなイルカ先生の声。
「え…イルカせんせ…?」
腕の中を見ると俺がいつも使っている枕がそこにあって、イルカ先生の姿は影も形もなくなっていた。
「変わり身…」
「カカシさん、俺は此処です」
声のする方へ顔を向けると、ベッドの上でシーツを巻き付けたイルカ先生が視界に入る。
「服、破れちゃって…」
「イルカ先生」
俺はふらふらと近寄って、イルカ先生を抱き締めた。
ありったけの力を込めて、ギュッと。
「…カカシさん、痛いです」
「ん。ごめんね、ちょっとだけ我慢して」
イルカ先生の腕が俺の背中に回って、抱き締め返してくれる。
思わず、ほ、と息が漏れた。
「全く…里の誉れとまで言われた人が、なんて顔してるんですか」
「…アナタのせいデショ。ホントに寂しくて死にそうだったんですよ俺は」
「次そんな事言ったら、本気で怒りますよ?」
そう言って俺の背中を叩いたイルカ先生を、勢いをつけてベッドに押し倒した。
「カカシさん!」
「イルカ先生…子供になってた時の事、覚えてます?」
「すみません、あまり…」
「俺ね、いっぱい我慢したんです。アナタは誰彼構わず懐くし、無防備に笑顔を向けるし」
「…覚えてません」
「アスマに頬擦りされて嬉しそうにしてるし、紅にはほっぺにチューしたんですよ?」
「えっ!?紅さんに!?」
…紅のは嘘だけど。
「嫉妬のあまり、写輪眼発動しそうになりました」
「すみません…あの、」
「どうして?」
「え…?」
「どうしてすぐに戻らなかったの?」
「わかりません…ただ、すごく気持ち良かったんです。居心地が良くて、いつまでも浸っていたいような…不思議な感覚でした」
イルカ先生の指が、そっと俺の頬を撫でる。
「それなら…なんで元に戻ったの…?」
「それもわかりません。…でも、カカシさんが泣いてる気がして…戻らなくちゃって、そう思ったんです」
『心配掛けてごめんなさい』そう言って俺の首に腕を回したイルカ先生に唇を寄せると、噛み殺したような笑い声が聞こえた。
「…イルカせんせ?」
「ふふ…すみません、ホントに泣いてると思わなかった」
「…泣いてませんよ」
「そういう事にしといてあげます。俺は大人なんで」
クスクス笑うイルカ先生の顔を見て、じんわりと胸が温かくなる。
ああ、良かった、俺のイルカ先生だ。
「…ホントに大人かどうか、確認しなくちゃね」
「えっ、ちょ、カカシさ…何」
「ん?身体検査」
「見ればわかるでしょう!」
「見て、触って、味見しないと」
「大丈夫ですってば!」
「俺が大丈夫じゃなーいの」
ぐっと腰を押し付けるとイルカ先生は途端に真っ赤になって、おとなしくなる。
「…カカシさん」
「…ね?わかるデショ?」
(だから、確かめさせて)
余裕の無さを押し殺して、出来るだけ優しく囁いた。
あとはひたすら、互いの熱だけを感じ合って―…。
翌日は足腰の立たなくなったイルカ先生を甲斐甲斐しくお世話して。
その翌日に五代目及び迷惑を掛けた里の皆に、無事元に戻った旨の報告と謝罪に奔走した。
残念がったり喜んだりと、みんなの反応は様々で。
またも立ち話をしていたヨシノさんとツメさんに『ご迷惑をお掛けしました』と頭を下げるイルカ先生が、『感謝するならカカシ先生にしてあげて』と言われて、一瞬面映ゆそうな顔をしたのが印象的だった。
「ちょっと意外でした…」
「何が?」
「カカシさん、子供の俺には興味無いって、ほっぽりだしてるかと」
「ヒドい事言いますねぇ。俺は、どんなアナタでも愛してますよ」
「ホントかなぁ…」
ちらりと疑いの眼差しを向けるイルカ先生。
(まあ、一番は色んな事の出来る、オトナなアナタだけど)
「ま、いいです。さて次は…」
「アスマんとこ行きます?多分紅も一緒だと思いますし」
「紅さん…怒ってないといいけど…」
「ああ、大丈夫です。アレ嘘ですから」
「は…?ちょっとカカシさん!」
走って逃げようとして、手を掴まれた。
ギュッと結ばれて、そのまま手を引いて歩き出すイルカ先生。
公道じゃ人目があるからって、明るいうちは手を繋いだ事なんかなかったのに。
「イルカせんせ?」
「…アレ?おかしいな、すみません!」
パッと手を離そうとしたその手を、ギュッと握る。
「ん。いいから、このまま行きまショ」
多分、この一週間でついてしまった癖みたいなものだろう。
だって子供ってねぇ、ちょっと目を離すと、すーぐ迷子になっちゃうんだよ。
だから今度は、迷子にならないように。
俺のイルカ先生が何処かに行ってしまわないように、しっかりと手を繋いでなきゃね。
end
桜舞い散る季節
里の中心街から少し離れた桜並木を連れ立って歩いていた時だった。
桜の木の下には死体が埋まっているだなんて、一体誰が言い出したんでしょうね。
教職の彼は、桜だけが食物連鎖の恩恵に与るだなんて、可笑しな話でしょう?と訳のわからない事を言った。
訊いてみれば、昼間子供達がそんな話をしていたのだと鼻梁を走る傷を掻いて笑う。
遺体を墓標代わりに大木の下に埋葬するのだとしても、何故桜だけがそう云われるのか。
諸説紛々ですけど…俺は首を縊った父親を、桜ではなく桃の木の下に埋めましたが。
何の気なしに呟いた俺の言葉に彼があまりにも不細工な顔をしたから、不意に無茶苦茶にしたくなってしまった。
驚く彼の手を引いて、木の幹に縫い止めるように背中を押し付ける。
非難めいて俺の名を呼ぶ唇を塞ぎ、乱暴に上着を捲り上げ胸の突起を摘んだ。
クッと鳴って反った彼の浅黒い喉に噛み付けば、ジタバタと足を動かして俺の急所を蹴り上げようとしたから、足を払って地べたに倒す。
いや。いやです。やめてください。
こんな時でも律儀に敬語を使う彼に舌打ちしながら、縫い付けた片手はそのままにもう片方の手で互いの下衣をくつろげて。
感情の通わない、こんな一方的な行為にも示し初めている彼の半分起ち上がりかけたそれと、既にはちきれんばかりに怒張している塊を握り合わせて腰を振った。
深夜、人の気配のない屋外という状況下に興奮しているのか、顕著に反応を示す彼を揶揄する間もなく、俺は呆気なく果ててしまう。
心持ち情けなくなって下を見ると、真下にある彼の顔が咎めるでもなく何を言うでもなく、黒い瞳に水を湛えて俺を見つめていた。
俺は無言のまま吐き出してしまった己の体液を指先に掬い、無遠慮に彼の後孔に突き立てる。
押し殺した彼の息遣いと虫の声を聴きながら、ただ事務的に指を増やし動かして、彼の中を掻き回し解していく。
鼻をつくのは、土の匂いと草の匂い。
彼の中に俺自身を捻込んだ時には汗が頬を伝って、中途半端に捲り上げた彼の上着に染みを作るのが見えた。
いつの間にか緩めていた拘束から逃れた彼の腕は、俺の背中に縋りつくように回されている。
無心で腰を打ち付けて果て、彼の胸にぐったりと倒れ込んだ俺の髪を梳きながら、彼がぽつりと呟いた。
どうしてですか。何故こんな事を。
やはり俺を咎めるでもない声音に、返す言葉が見当たらない。
桜に…狂わされました。
……そうですか。
帰りましょうと体を起こす彼の腕を引いて、乱れた着衣を正す。
彼を背に負うて歩き出せば、彼は得心したとばかりに言葉を発した。
桃は仙木です。貴方はお父上が大好きだったんですね。
俺の耳元でくすくす笑う彼が急に愛おしくなって、俺は小さく謝辞を口にした。
促されて見上げれば、月を背にして葉桜が嗤っていた
end
涙で溶ける
できるだけ笑顔でいようと思った。
無理をしてでも笑っていないと、死んだ父ちゃん母ちゃんが心配するから。
笑っていないと、すぐに涙がこぼれそうになるから。
『イルカ、お前は男だろ。すぐに泣いちゃダメだ』
『泣かないでイルカ。笑って見せて』
どうしても笑えない時は父ちゃんと母ちゃんの声を思い出して『俺は男だから。寂しくない、ちゃんと笑えるよ』と心の中の両親にさえ強がってみせた。
そんな俺に『泣いてもいい』と言ってくれたのは三代目。
何故だか赦された気がして、俺は三代目の腕の中で大泣きした。
子供ながらに無理をし過ぎていたんだろうか。
いつまで経っても止まらない涙に体中の水分が抜けて、死んでしまうんじゃないかと思った程だ。
それからは、ほんの少しだけ自分に架していた『泣いてはいけない』という枷を緩めて、どうしても我慢出来ない時だけは泣いてもいい事にした。
ただし、泣くのは誰もいない所で、ひとりで。
中忍に上がって初めての任務で失敗した時。
(自分の不甲斐なさに泣いて)
アカデミー教師になって初めて受け持った生徒が卒業した時。
(嬉しくて泣いて)
古い友人が殉職した時。
(悲しくて泣いて)
どうしても我慢出来ない時だけ、涙で感情をリセットする。
それからは皆が知ってる俺、『いつも笑顔で元気いっぱいのイルカ先生』に戻る。
『いつも笑顔で元気いっぱいのイルカ先生』
いつだったか、からかい半分で同僚に言われた俺を形容するその言葉は、純粋に嬉しくて。
ああ、他人の目から俺はそんな風に映っているのか。
それなら俺は、父ちゃんや母ちゃんを心配させないように上手に笑えているんだと、そう思えた。
「変な顔」
三代目の葬儀の後、近しい者だけで集まってささやかな酒宴を催す事になった。
真面目だけれど、湿っぽいのが好きではないひとだったから。というアスマさんの意向もあって、猿飛の家で行われるそれに、身内同然の付き合いをさせてもらっていた俺も参加する事にした。
最初は遠慮していたのだけれど、『お前が来ないと親父が悲しむ』なんてアスマさんに言われてしまえば、俺に断る事など出来る筈がない。
葬儀が終わる頃には雨はすっかり止んでいたけれど、湿った喪服は肌に張り付いて着心地が悪く、何より濡れたままで酒宴に参加もないだろうと、皆一度家に帰ってから集合する事になった。
ぬかるんだ道をとぼとぼと歩いて、見上げた空の雲間から差し込む光に目を細めた時だった。
「変な顔」
言われて振り返ると、カカシさんが立っていた。
雨に濡れた所為だろう、普段は針鼠のように逆立った彼の髪は、柔らかな太陽の光を浴びてキラキラしながらもしっとりと寝ていて。
それが彼の心情を表しているようで、俺は少しだけ笑った。
「顔の事は、貴方に言われたくないです」
カカシさんとは、中忍選抜試験の折に意見の食い違いから衝突して、急速に仲が近くなった。
すぐ後に述べられた謝罪の言葉と、不快な思いをさせた礼にと誘って連れていかれた安居酒屋の所為かも知れない。
カカシさんは他国にまで名を轟かすような高名な忍ではあるけれど、その枠を取っ払ってしまえばいい意味で普通の男だった。
俺に素顔を晒して、くだらない話で大いに盛り上がった。
エリート上忍に僅かばかり苦手意識を持っていた俺の偏見を、あっさりと覆させてくれたひと。
「俺の顔はいいの。なんて顔してんの」
なんて顔。なんて言われても、俺にはわからない。
水溜まりに映る俺の顔は、普段通りに見える。
「普通ですよ?そりゃあ、カカシさんに比べたら地味かも知れませんけど…」
にっこり笑う。笑え、俺。
「造作の話じゃない。そんな変な顔してまで笑う事ないって言ってるんです」
「でも、」
「でも、じゃないの。泣きたいんデショ?我慢しなくていいんですよ」
いやだ。
「…泣きません。俺は、いつでも笑顔でいなきゃいけないんです。父ちゃんと母ちゃんが心配するし、三代目だって、」
三代目。俺に泣いてもいいと言ってくれたひとは、もういない。
唇を噛み締めて俯く。
ああダメだ。下を見たら涙が零れそうになる。
上を、上を見なくちゃ。
「イルカせんせい」
顔を上げたら、カカシさんの顔が目の前にあった。
綺麗な蒼灰色の瞳に見惚れていると、不意に体が傾く。
「誰かがいなくなって、悲しかったり寂しかったりしたら泣いてもいいんです。誰もアナタを咎められないし、そんな権利は誰にもない」
俺は今、カカシさんに抱き締められている。
この世の全てから俺を隠すように、俺を包み込んでくれているカカシさんの腕や胸。
トクトクと絶え間なく鳴る彼の心音、不器用に俺の背中をさする腕は僅かに震えていた。
「恥ずかしいならこうして隠してあげる。だから、俺の前では泣いて下さい。お願い、無理しないで」
そういう彼の声こそ涙混じりで、
泣きたいのは貴方の方じゃないんですか。なんて可愛げのない事を言ってしまいそうになったけれど。
口を開いたら嗚咽が漏れてしまいそうだったから。
俺は彼に縋りついて、声を殺して泣いた。
end
ベッドの中
酒の席で同僚に何気なく聞かれたこと。
「なぁイルカ、お前と『はたけ上忍』ってどんな関係なワケ?」
「えぇ?」
「だってよぉ、かたや上忍師、お前はアカデミー教師だろ?幾らお前の元教え子が今の部下だっつってもよォ…『写輪眼のカカシ』だぜ?ただでさえ上忍と中忍ってさ、なんつーかこう、見えない壁っつぅの?どうしても越えられない一線があるっしょ」
うんうん、周りの連中も同僚の言葉に頷いている。
「最近仲良さげだしさぁ…なんかしたワケ?はたけ上忍の弱味でも握ったのか?」
「バーカ、そんなんじゃねぇって。あの人は飯仲間で呑み仲間だよ」
曖昧に笑って質問をはぐらかす。
そりゃあ誰が見たって不思議に思うだろう。
里の誉れと一介のアカデミー教師。
俺自身不思議でならない。
最初に食事に誘ってきたのはカカシさんの方。
俺は何も考えずに頷いてついて行き、中忍の給料じゃ滅多に口にできないような高級料亭で唯一の共通の話題である生徒達の話をした。
憧れだった上忍に誘われて舞い上がってガチガチに緊張して、何を食べたか、何を飲んだか、味はどうだったか、なんてひとつも覚えていない。
帰り際『また付き合って下さい』と笑うカカシさんに、『次は俺の財布に優しい所にして下さい』と返すと、彼は『じゃあ次はイルカ先生オススメの店で』と小指を差し出してきて。
二十代も半ばの男二人が道端で指切り、なんて恥ずかしい事をしたのはかなり前の話。
飯、時々、酒。
それと、
「ん、イルカせんせ…」
「……あ、」
俺の躯から出ていくカカシさんにぶるりと身震いをする。
額に口付けて、ぐしゃぐしゃに乱れた俺の髪を梳く、彼の長い指。
「…眠い?」
「…疲れました」
「風呂に湯、張ってきますね」
そう言って俺から離れるカカシさんの背中を見ながら、ふいに同僚に聞かれた言葉を思い出す。
『どんな関係なワケ?』
そんなの、俺の方が知りたい。
飯を食う、酒を飲む。
時々『セックス』をする。
『イルカ先生は、休みの日って何してます?』
『恥ずかしながら…侘びしい独り身なもんで、溜まった洗濯や掃除やその他諸々、家事全般に逐われてます。そういうカカシさんは?』
『主に寝てます。気付くと夕方だったりするんです。で、晩飯食ってまた寝ちゃう』
『ははは、贅沢な時間の使い方してますね』
『もっと有効的に使わなきゃって思うんですけどね…ちなみに、休みの前の日は?』
『同僚と呑みに行ったり…ああ、最近はカカシさんとばっかりですね。ご迷惑じゃないですか?』
『全然?むしろイルカ先生独り占めしちゃって悪いかなー…なんて』
『何言ってんですか、カカシさん程の人が。俺なんかでよければどうぞ、お好きなように』
『…ホントに?』
『へ?』
『イルカ先生、独り占めしちゃってもいいの?』
思えばアレが悪かったんだ。
それからなし崩しに俺の家になだれ込んでキスしてセックスして。
そういう意味じゃなかったと抵抗しても力で勝てる訳もなく、ホントになし崩し的に抱かれて、翌日は声が出なくなる程鳴かされて、瞼が腫れ上がる程泣かされて。
そんな事が何度か続いて、いつの間にかカカシさんと『寝る』のは俺が休みの前日の夜だけ、なんて暗黙のルールが出来てしまった。
『どんな関係なワケ?』
こんな関係、有り体に言えばセックスフレンド以外の何者でもない。
好きだと言われた覚えもなけりゃ、好きだと言った覚えもない。
睦言のない情交なんて、ただの性欲処理同然。
男同士だからアレコレ探らずとも性感帯がわかるとか妊娠の心配がないとか、顔見知りだから余計な気を使わないで済むだとか。
自分でするより気持ちイイし、わざわざ風俗に行かなくても無料でスッキリ出来て、なんて得なんだ。
大体、あの『はたけカカシ』が俺なんかを相手に興奮して、アレやコレやするんだぞ?それってちょっと凄くないか?
でもちょっと待て、カカシさん程の人なら引く手数多の筈だろ。
なんで俺なんだ?
そもそも、俺だけを相手にしてるって考えるのがおかしくないか?
彼と寝るのは、俺が休みの前の日だけ。
それなら、それ以外の日は?
『俺は茄子の味噌汁が好きなんですけど、さすがに毎日だと飽きるでショ。たまには豆腐とか油揚げのとか、普通のが食べたくなりますねぇ』
前にそんな事を言っていた気がする。
…そっか、そういう事か。
「イルカせーんせ、水飲みます?」
ペットボトルをちゃぷちゃぷ揺らして戻ってきたカカシさんののほほんとした顔に、無性に腹が立った。
「俺は、豆腐でも油揚げでもないですから!」
掠れた声でそう絞り出すと、カカシさんは首を傾げて俺を見る。
「はい…?」
「茄子が好きなら、豆腐な俺のとこじゃなくて茄子の人の所に行って下さい」
「…イルカせんせ、熱でもあるんですか?無理させ過ぎちゃった?」
心配そうに俺の額に手を当てるカカシさんが憎らしい。
ひんやりとした手は熱の収まりきらない肌にはあまりに気持ち良くて、振り払いたいのに振り払えない。
それ以前に、先の情交の所為で疲れきった腕は鉛のように重くて持ち上がらなかった。
「…熱なんか、ないです」
「じゃあどうして?茄子とか豆腐とか急に言われても、ワケわかんないですよ」
「……」
「イルカ先生」
ベッドがぎしりと軋んで、カカシさんが腰を下ろした重みで身体が沈む。
宥めすかすように髪を梳かれて、思わず顔を逸らした。
なんて言ったらいいかわからない、なんて聞いたらいいかわからない。
(俺達って、どんな関係なんですか?)
(俺達の関係に名前を付けるとしたら、どうなりますか?)
「イルカ先生…言ってくれなきゃわかんないです」
カカシさんの声も指先も、うっとりしてしまう程に甘くて優しい。
(…貴方は、どんなつもりで俺を抱くんですか?)
俺は、どんなつもりで貴方に抱かれてるんだろう。
「嫌に、なりましたか?俺の事…。もし…もしそうなら、」
「違…っ、違います…」
俺は慌ててカカシさんの言葉を遮った。
その先を聞きたくなかった。
もし、その先を聞いてしまったら、きっと終わってしまう。
そんな気がしたから。
「ねぇ、イルカ先生」
縋るような、切望するようなカカシさんの声に、胸が締め付けられるように痛む。
「同僚に……」
「ん?」
のっそりと身体を起こし、ぐしゃぐしゃに寝乱れたシーツを手繰り寄せた。
掠れた声が恥ずかしくて、折り畳んだ膝に顔を埋めて言葉を吐き出す。
「同僚に、聞かれたんです。貴方と俺、どんな関係かって」
「…イルカ先生は、なんて答えたの?」
「飯仲間で、飲み仲間だって…」
「…それだけ?」
「それだけって…!なんて…なんて答えたら良かったんですか!」
カカシさんの言葉に思わず顔を上げると、驚いたように見開かれたオッドアイとかち合った。
(綺麗な目)
そうだ、最初の日、彼に抱かれた日。
初めて見た彼の素顔は想像以上に美しくて、縦に走る傷も少し薄い唇も。
均整の取れた肢体も何もかもがあまりに美しくて。
俺は素直に『この人が欲しい』って思ったんだっけ。
でも、それを言葉にするには自分に自信が無さ過ぎて。
これは彼が見せている幻なんだと、特異な力を持つ瞳術に嵌められたんだと思い込んだ。
(…思い込みたかった)
「イルカ先生、俺はね、誰かにアナタとどんな関係?って聞かれたら、迷う事なく『恋人』って答える気でいるんですけどね」
眉尻を下げたカカシさんは、泣き笑いのような表情で俺を見ていた。
「アナタはそうは思ってくれてなかったの?…俺達、なんだと思ってた?」
「……セフレ、じゃないんですか」
俺の声は、笑えるぐらい震えていた。
「そんな風に思ってたんですか」
「だって、」
「俺ね、何回もアナタに『好きだ』って言ったんですよ?」
「…嘘、そんなの聞いた事ないです」
呆れたように溜息を吐いたカカシさんは、俺の頭を掴んで無理矢理に顔を突き合わせた。
目が、そらせない。
吸い込まれそうな灰蒼と、真紅の赤。
「好きです、イルカ先生。…抱いてる最中に言ったから、きちんと聞こえてないだろうとは思ってたけど…、俺はアナタが好き。アナタも、俺が好きでしょう?」
『お願い、そうだと言って』
そう聞こえたのは、俺の空耳だったのだろうか?
俺は水から上げられた魚のようにぱくぱくと口を動かして、
逸らす事の赦されない彼の目を見据えながら『貴方が好きです』と答えた。
end
犬と猫の関係・イルカ
「それでですね、その時ナルトが……」
「はあ」
「でもってそのナルトにサスケが……」
「へぇ」
「そしたらついにサクラまで……」
「ほぉ」
「ちょっとイルカ先生!全ッ然聞いてないデショ!?」
採点に夢中になっていたら、カカシさんに両頬を挟まれてグリッと首を曲げられた。
「いってェ!何するんですか!」
首が折れて死んだらどうする気だ、この腐れ上忍が!
なんて雑言は、腹の中に仕舞う。
棄てられた仔犬…なんて可愛いモノじゃない。
今にも噛み付きそうな顔をしたカカシさんが、俺の命綱(もとい首と体が繋がる部分)を握っているのだ。
「あのね、」
ああ、始まった。
この状態でのカカシさんの『あのね、』は、長々と続くお説教タイムの序章以外の何ものでもない。
経験者は語る。
今から始まる彼の熱弁に、如何に長く拘束されるか俺は知っている。
それはもう、嫌になる程知っているのだ。
だけど、カカシさんだって悪いじゃないか。
俺は『今から採点しますから、邪魔しないで下さいね』と何回も念を押したのに。
『ハイハーイ』なんて言ったその口で、ものの五分も経たない内にイチャパラを投げ出して俺の傍に張り付いて、子供達がどうのこうのって。
そりゃ俺だって、子供達の様子を聞くのは嬉しいし楽しい。
貴方が口では面倒くさいなんて言いながらも、どんなに子供達を可愛がっているのか知る事の出来る、またとないチャンスでもある。
でもだからって、仕事の邪魔をするのは少し違うんじゃないですか?
生返事だし相槌は適当だけど、貴方の話を聞いてないワケじゃないんですよ。
何が一番困るって、俺とふたりきりの時の貴方のその声。
どれだけ甘くて優しいか、貴方は知らないでしょう?
疲れてなくても、眠くなるんです。
それ以前に顔がにやけるんです。
貴方が俺に向かって話をしている時の、幸せそうな顔。
それを見たくなるから困るんです。
採点するには答案に向かわなきゃならないのに、貴方の顔ばっか見てたら一向に仕事が進みやしないじゃないですか。
挙げ句、べったり後ろから羽交い締めの如くくっついて。
俺は割と注意力散漫な方なんです。
くっついてグリグリ頭を擦り寄られた日には、くすぐったいやら貴方の香りでクラクラするやら、もうホントに仕事になりません。
ミスが多くなると、その分時間が掛かるでしょう?
俺だって貴方と話したいから、少しでも早く仕事を終わらせようと思っているのに!
「ちょーっと!また聞いてない!」
「聞いてました!少しは俺の言い分も聞いて下さ、」
「嫌です」
かぷりと噛み付かれて、俺の言葉はカカシさんの口の中に飛び込んでいった。
噛み癖があって、『待て』の出来ないひと。
それが俺の恋人です。
end
猫と犬の関係・カカシ
「それでですね、その時木ノ葉丸が……」
「はあ」
「でもってその木ノ葉丸に三代目が……」
「へぇ」
「そしたらついにアスマさんが……」
「ほぉ」
「…カカシさん、全然聞いてないですよね」
イチャパラのスピンオフ作品を手に入れ、食い入るようにそれを読む俺の対面で、イルカ先生がポツリと呟いた。
「聞いてますよ~」
「嘘ばっかり。もういいです、邪魔してすみませんでした」
これは普段の仕返しってワケでなく、純粋に本に没頭していたのだ。
俺の生返事が気に入らなかったのか、イルカ先生はコツコツと指先で卓袱台を叩きながらテストの採点に取り掛かる。
良かったじゃない?
いつもなら俺が邪魔して集中出来ないデショ?
俺は新刊、イルカ先生はテスト。
同じ空間にいて、けれど互いに違う事に没頭する時間って、すごくいいと思うんだけどな。
コツコツ、コツコツ、
時折、わざとズラしたテンポで叩かれる机の音に、少しだけ集中力が途切れる。
「ね、イルカ先生。それ止めてくれない?」
「静かに本が読みたければ、ご自宅に帰られたらどうですか」
ああ、怒らせちゃったかなぁ。
でもさ、俺の好きなアナタの部屋で俺の好きな本を読む。
これって、すごい贅沢でしょ?
なんでそんなに不貞腐れた顔してるかなぁ。
コツコツコツ、コツ。
「イルカ先生?」
「………」
仕舞いにはだんまりですか。
どうしたもんだかなぁ…俺は本が読みたいし、でもイルカ先生の家から出たくはないし。
だって、楽しみで楽しみで、発売日が決まる前から予約入れるぐらい楽しみだったんですよ。
アナタだって、新しい入浴剤買った時なんか俺の事ほったらかしで風呂掃除張り切ってたじゃない。
一緒にも入ってくれなかったし。
しかもただでさえ長風呂のくせしてさ、その日はなんと三時間以上入ってたデショ。
ふやけて倒れてるんじゃないかって、待ってる間気が気じゃなかったんですからね。
コツ、コツ、コツコツ、
ああもう、イルカ先生が気になって本に集中出来ないんですけど。
「イルカせ、」
「構って下さい」
顔を上げたら、卓袱台を乗り越えたイルカ先生に襟首を掴まれた。
「テストは?」
「いいんです。構って下さい」
がばりと抱き付かれて畳に倒れ込むと、すり。と頬を寄せられた。
ああもう、ホントにこのひとったら!
俺の恋人は気まぐれ過ぎて、すごく困ります。
でも、すごくかわいいデショ?
end