意地悪はどっち?

アカデミー教師、うみのイルカは悩んでいた。

悩みの原因は元教え子達を介して知り合った男、はたけカカシ。

カカシは、忍なら彼の名を知らなきゃモグリとまで言われる程『超』がつくほどの有名人。

そこそこの忍人生の中で、派手なものから地味なものまで、カカシの多種多様な噂を耳にする機会は度々あって、イルカからしたら『はたけカカシ』という男は御伽噺の中の人物のような、実在するんだかしないんだかよく解らない存在だった。

実際に彼と顔を合わせるまでは。











階級は違えど同じ子供達を面倒見た者同士。

話題には事欠かないし、何より噂で聞くのとは違ったカカシの素顔は非常に気さくで温和、イルカは素直に彼に好感を持った。

仕事帰りに『ちょっと一杯どうですか』なんて誘いをかけられれば喜んで受けたし、『暇だから遊びに行きませんか』と言われればイルカとて寂しい独り身、断る理由もないから一緒に遊びにも出掛けた。

そこに他意はない。

カカシと居るのは苦にならない、はっきり言ってしまえば素直に楽しかったし嬉しかったのだ。

気に掛けて止まない子供達の話も聞けるし、予定の無い退屈な休日を気の置けない友人と楽しく過ごす、ただそれだけ。

それだけのつもりだったのに、何処をどう間違ったのか。

『イルカ先生が好きです』

休日、映画の帰り道。

真剣な、それでいて照れと緊張を押し隠そうと一生懸命なカカシの突然の告白に、イルカは衝撃を受けた。

冗談めかして誤魔化せる状況じゃない、彼は本気だ。

という事は、自分の返事次第で彼との関係は良くも悪くも大きく変わる。

どう答えても、以前のような良い友人の関係には戻れないに違いない。

でもだからって、彼を受け入れられる筈もない。

だって俺はノーマルだから!

もじもじと返事を待つカカシを前に、イルカが僅かな時間で叩き出した答えは『ごめんなさい』だった。

きっちり四十五度に頭を下げて、たっぷりの間を取って頭を上げたイルカに、カカシは笑顔で言い放った。

『俺、イルカ先生の気持ちが動くまで待ちますから』

言外に『諦めない』と言われて、イルカは頭を抱えた。

それから一年以上が経った今も、イルカはカカシの悩みでいっぱいの頭を抱えている。

カカシはとにかくしつこかった。

ネバーギブアップ精神だなんて、ガイ先生の専売特許じゃなかったのか!なんて大声で叫びたくなる程にしつこかった。

あまりに能動的なカカシの『俺と付き合って下さいアピール大作戦』に、『待つんじゃなかったんですか』というイルカの精一杯の嫌味は、『待ってちゃ始まらないデショ』と返したカカシの笑顔と共に、火の国の遥か外まで一蹴されてしまった。

イルカの生来の気質も悩みに拍車をかけていて、つきまとわれて迷惑に思うのに、突き放す事が出来ない。

以前のような晩酌や夕飯、休日の誘いにも、どうしても首を横に振る事が出来なかった。

(だって、俺はカカシさんを嫌いな訳じゃない)

彼の望むような関係にはなれないだけ。





「ねぇイルカ先生、いい加減俺に落ちてくれませんか」

今日もイルカは、自分を好きだと言う男を部屋に上げて酒を呑んでいる。

お互いに程良く酔いが回った辺りでカカシが口説いてくるのは最早お馴染みの展開で、イルカはいつもと同じように断りの常套句を口にした。

「無理です。カカシさんこそいい加減諦めて下さい」

貴方程の人なら幾らでも他にいい人が見つかるでしょう、俺なんかにかまけてないで素敵な出会いを探して下さい。

つつき過ぎてぐずぐずになった冷や奴を箸で掬って、口に運ぶ。

「俺はイルカ先生がいいんです。イルカ先生じゃなきゃヤなんです」

「だって俺、男ですよ」

「性別は関係ないです。俺は気にしません」

「俺は気にします」

なんでなんで、と子供のように駄々をこねるカカシと、無理言わないで下さいと窘めるイルカ。

何時まで経っても何処までいっても平行線の関係はぬるま湯のようで暖かく、イルカは自分の返事ひとつでこの居心地の良い関係を壊したくなかった。

カカシも無理強いはしないのだから、この関係をそれなりに享受しているのではないか。

そんな事を考えながら、イルカはぬるくなったビールを緩慢な動作で口に運ぶ。

と、カカシが突然姿勢を正して、真剣な面持ちでイルカを見据えた。

「イルカ先生、」

「はい?」

「今、貴方の人生から俺が消えたら、貴方はどう思いますか」

「…はい?」

「任務で何日か里を離れる、とかそういったのでなくてですね。そう…例えるなら俺が何かの拍子で死んでしまって。今後一生、貴方と顔を合わす事が出来なくなる」

(カカシさんが、死ぬ?)

気の抜けたビールが、苦味を伴ってゆっくりと喉を下りていく。

忍たる者、突然の死は嫌という程見てきている。

自分の両親、身内同然だった三代目火影、古い付き合いの友人、アカデミーの卒業生だった生徒達。

数えきれない程の命とさよならをしてきて、不本意ながらそれにも慣れてきてしまった。

(カカシさんが、俺の人生からいなくなる…?)

ビール缶のプルタブをじっと見つめて、イルカは想像してみた。

就業帰り、夕焼けに染まる細い道、『お疲れ様ですイルカ先生、一杯どうですか?』と、笑顔で現れるカカシ。

予定の無い休日、部屋でぼんやりとテレビを見るイルカの前に現れては『暇なんで付き合って下さい』と無理矢理手を引っ張って彼を連れ出すカカシ。

(カカシさんが、いなくなる。カカシさんのいない、俺の人生)

仕事帰りの道にも、休日の狭いアパートにも、受付所にも、その何処にもカカシがいない。

そんな自分の日常を想像して、イルカは身震いをした。

(そんなのは、嫌だ)

 
 
 

イルカの想像した『カカシの存在しない』人生。

在るべき場所に在るべき人が居ない日常。

(…嫌だな)

ぽかりと空いた穴、例えようのない喪失感。

想像なのに、想像だけの筈なのに。

(すごく、嫌だ)

「イ、イルカ先生!?」

ぱたりと落ちた雫の音に、カカシが慌てて腰を浮かした。

そのままずりずりと膝で這い寄って、イルカの真横にちょこんと座る。

「…イルカ先生?」

恐る恐る手を伸ばして、小さな子供をあやすようにイルカの頭を撫でると、イルカは息を吐いて口を開いた。

「…カカシさんは、意地が悪い」

「ごめんなさい。意地悪したかったワケじゃないんです」

(ほんの少し、状況を変えたかっただけ)

ぐずぐずと鼻を鳴らすイルカにティッシュを差し出すと、イルカはそれを受け取って勢い良く鼻をかむ。

「ヒドいです」

「うん。ごめんなさい、イルカせんせ…」

もう言わないから。そう言いかけたカカシは、突然飛び付いてきたイルカを受け止めきれなくて後ろに倒れ、したたかに頭を打ち付けた。

卓袱台に肘が掠めて、卓上の物が耳障りな音を立てる。

「イルカ先生!?」

「ホントにヒドいです。俺の日常にズカズカ入ってきて、好きだとか言って俺の気持ち振り回して」

「うん…ごめんなさい」

イルカの日常にズカズカ入ったのも好きだと言ったのもカカシだけれど、それを拒絶しなかったのはイルカの方だ。

「それなのに『もし俺が死んだら』なんて質問…」

「すみません」

「許しません。馬鹿な質問をした事もだけど、勝手に死ぬのも許しません」

「へ…?」

「遠い僻地で死にかけたとしても、俺の所まで帰ってきて、俺の目の前で死んで下さい。これはお願いじゃないです、罰ですから」

わかりましたか?と、アカデミーの生徒に諭すような声音で言われ、カカシはコクコクと頷いてイルカを見た。

まるで泣き笑いのような表情。

袖で顔を拭うとにっこり笑って、イルカはカカシにギュウとしがみつく。

「あのー…イルカ先生?」

「なんですか、カカシさん」

「イルカ先生は俺の事が『好き』って、そういう事でいいんですか?」

ゆっくりとイルカの背に手を回しながら聞くと、内臓が飛び出そうな程強く抱き締められてカカシは息を詰まらせた。

「貴方が居ない人生を想像して涙が出るくらいには、貴方の事が好きです」

それじゃあ不満ですか?と問われ、慌てて首を振る。

「とんでもないです!」

「それよりも約束、ちゃんと守って下さいね?」

「じゃ、指切りします」

カカシの差し出した小指をじっと見て、イルカが指を絡ませる。

無言のまま幾度か振って、名残惜しそうに指を離すイルカの頬に、カカシが唇を寄せた。

「イルカせんせ…」

「ち、ちょっと待って下さい!」

「?」

「そういうコトは、その…まだちょっと無しの方向で…」

「えぇ!?なんでですか!」

「こ、心の準備が…。やっぱり、同性同士ってのに抵抗がですね…拭えないっていうかなんていうか…」

しどろもどろになるイルカに、カカシは苦笑いをこぼす。

「いいです。ここまで待ったんだから、もう少し待ちまショ」

よしよし、と宥めるように頭を撫でると、イルカは今にも倒れてしまいそうな程顔を赤くした。

「あの…カカシさんが嫌だとかそういうんじゃないですから。なんていうか……その、努力します」

「……はあ」

「カカシさん?」

「あんまり可愛いコト言わんで下さい。我慢出来なくなりそう」

カカシの言葉に『今の何処に可愛い要素が?』と首を捻るイルカの視点が一転した。

見慣れた天井と、カカシの顔が真上にある。

「カカシさ、」

「今はコレだけ、ね」

額に唇を押し当てられて身を強張らせたイルカの頭に、卓袱台から倒れたビール缶がコロコロと転がってぶつかった。




end

赤色のバスタブ

「赤い」

「…きつね?」

「違います。誰がうどんの話をしてますか」

そう言った俺の前には、力無く投げ出されたカカシさんの体がある。

どうどうと蛇口から流れ出るお湯が、カカシさんちの風呂桶に溜まっていく。

湯気の立ち込める浴室で、チャクラが切れて体が動かせないというこの人の、血と泥にまみれた服も下着も剥ぎ取って。

その白い肢体を見下ろして開口一番に出た俺の言葉は『赤い』だった。

正確には『赤かった』であろうそのこびりついた鉄錆色の塊は、忍なんて仕事柄見飽きる程見てきたモノで。

「あんまり見ないで下さい」

「しっかり見せて下さい」

「イルカ先生のスケベ」

「見られてるだけでこんなになってる貴方の方がスケベでしょう」

「任務後で疲れてるからです。疲れマラってヤツですヨ」

しれっとそんな事を言うカカシさんの肌の上を掌で撫でると、一部分だけザラザラとしていた。

くすぐったそうに身を捩ったカカシさんは、彼の腹を撫でていた俺の腕を掴むとそっと唇を寄せる。

「腹の傷はもう塞がってますから。そんな顔しないで下さい」

俺の掌についた乾いた血の跡をペロリと舐め、カカシさんは俺を見上げて挑発的に笑った。

「………」

ざっと見たところ、腹以外に大きな裂傷はない。

俺は元々、彼は怪我には無縁のひとだと思っていたのだ。

彼が俺に心配を掛けないよう、任務後に俺の所へ顔を出す時には例えどんな小さな怪我であっても綺麗に隠して来ていた、だなんて。

「ね、イルカ先生」

「隠し事は嫌いです」

「ごめんね」

小さな子供のように悄げてしまったこのひとは、本当に俺を大切に想ってくれている。

それをわかっていたつもりで、全くわかっていなかった俺は、大馬鹿野郎だ。

「貴方に怒ってるんじゃありません。俺自身に腹が立って仕方無いんです」

塞がってしまった腹の傷のようにこのひとは、これまでどれほどの傷や痛みを俺から隠してきたんだろう。

優しさに甘えて浸って、彼が俺に甘えてくれている事に僅かな優越感を抱いて、それだけで幸せで。

俺は全然、このひとには届かない。

忍としても、ひととしても。

「…貴方と同じ傷を負えば、少しは貴方に近付けますか」

「馬鹿な事言ってもらっちゃ困ります。あのねぇ、コレ、すっごい痛かったんですよ?俺の傷見て泣きそうになってるアナタには絶対無理」

「…俺は、貴方の傷を見て泣きそうになってる訳じゃありません」

「うん、わかってる」

指一本動かすのも大変そうなカカシさんは、それでも俺の腕を掴んでいる手とは逆の手で俺の髪を梳いた。

「ああもう、風邪引いちゃいそう。湯船に入りませんか?」

俺は、その前にシャワーかなぁ。と呟いたカカシさんを抱え上げて湯船に放り投げた。

熱い飛沫と湯気が、浴室中に立ち込める。

「熱ッ!?ちょっとイルカ先生!?ひどい!」

「ひどいのは貴方です!」

暴れるカカシさんを押さえつけるようにして、俺も湯船に飛び込む。

服が濡れようが知った事か。

熱い熱いと喚くカカシさんの頭を掴んで、唇に噛みついた。

舌を絡めると、口の中に彼がさっきまで舐めていた彼の血の味が広がる。

「んん……」

絡めて、吸い上げて噛みついて。

徐々に薄れていく血の味を飲み込んで、俺は唇を離した。

「…積極的」

おどけたように口笛を吹いたカカシさんの頬が僅かに紅潮しているのは、普段彼が入るより高めに設定した風呂の湯の所為だけとは思いたくない。

「嫌ですか?」

「全然?」

言いながら湯の中で腹を撫でると、凝固した血液がポロポロと剥がれ落ちた。




end

早起きは三文の徳

 下世話な話、カカシさんの体臭は誰と比べるワケでもないが薄い方だと思う。

暗部に在籍していた頃の名残で自宅にある洗剤やシャンプー、ボディソープの類はそれ専用の物を使っているのだと言っていたカカシさんは、俺の家で風呂に入るようになってからほんの少しだけ、俺と同じ匂いがするようになった。

基本、布団は別々。

俺が使っているシングルベッドでは、大の男二人が寝るにはさすがに狭過ぎる。

カビ臭かった客用布団はカカシさんが泊まりに来るようになってからはマメに干すよう心掛け、カバーも毎回洗濯するからいつもふわふわでいい匂い。

下手をすると俺のベッドより寝心地の良い代物で、まあ客用ってのはお客さんをもてなす為の物だからそれでいいのだろうけど。

七班が事実上解散になってから、カカシさん指名の依頼や任務が桁違いに増えた。

それでも時間が空けば俺の家に寛ぎに来るカカシさんは、早朝出立の場合は布団を畳んでそっと俺の家を後にする。

布団を仕舞う押し入れは俺が寝ている寝室にあるのだけれど、そんな朝に目覚めて居間への扉を開けた俺が、まず一番にする事をカカシさんは知らないだろう。

というか、知られたら非常に困る。










冬寒くて夏暑い、そんな中忍アパートの間取りは居間として使っている和室と、寝室として使っている洋室の二部屋だけ。

防音なんて全く考えちゃいない建て付けの悪い引き戸を引けば、八畳の和室に卓袱台とテレビ、本棚代わりの三段ボックスがふたつ並んでいるのが見える。

居間の隅、寄せられた卓袱台の横に置いてある三つ折りにされた布団。

カカシさんが出立した朝、俺は目覚めて一番にこの布団に顔をうずめるのだ。

畳まれて嵩の増したふわふわの布団は、本当に気持ちがいい。

あと、ほんの少しのカカシさんの匂い。

これが好きだ。

俺や他の人間がこの布団を使う事はないから、実質この布団はカカシさん専用、カカシさんの布団。

朝イチ、寝癖頭でほんのりヒゲの生えた二十代半ばのもっさりした男が、同性の寝ていた布団に顔をうずめ、匂いを嗅いでジタバタしているなんて。

俺が教職に就いてる人間だという事を差し引いても、とてもじゃないけど誰にも見せられない。

それがどのくらいイタいレベルかといえば、俺自身が第三者として俺のしている事を見た場合、『病院行くか?それとも五代目に見てもらうか?』と本気で心配するぐらい、と言えばわかってもらえるだろうか?

普段素直になれない俺は、この布団に顔を埋めている時だけ、ほんの少しだけ自分に素直になれる。

面と向かって言えないような事だって、カカシさんの匂いのする布団に頭を突っ込んでしまえば何だって言えるのだ。

(好き、大好き)

時折、年も階級も上で俺より大人なあの人が、どうしようもなく可愛く、愛おしく思える時がある。

ナルト達にするように頭を撫で回して、最近ようやく懐いた近所の野良猫を愛でる時のように、抱き寄せて頬擦りをしたい。

自分でもそれは父性だか思慕だか恋情なのだかよくわからない。

カカシさん風に言うなら『アナタをギューッとしたいんです』が、一番ピッタリくるかも知れない。

力任せに、ギューッとしたい。

ただ、普段の俺には理性とか恥とか外聞とか、何を礎にしているかわからない見栄みたいなものが邪魔をして、感情のままに行動出来ないから。

朝、寝ぼけたフリをしてカカシさんの布団を抱き締める。

カカシさんの布団から一日のエネルギーを貰っている。

決して本人には言えないけれど。

















「カワイイことしてくれちゃってますねぇ。イルカせーんせ?」

五分、いや、十分ぐらいそうしていただろうか。

聞き慣れた、今一番聞きたくない声に、布団に突っ込んでいた頭を引き抜く。

「…カカカカシさんっ!?」

「はい?」

「な、なんで此処に…つか、任務…、任務はどうしたんですか!?」

喚く俺に構わず、カカシさんは手に下げていたコンビニのビニール袋を卓袱台の上に置くと、にっこり笑ってこう言った。

「雪で中止になりました」

「雪…!?」

慌てて立ち上がってカーテンを引くと、一面の銀世界が広がっていた。

「もう、寒いのなんのって。ねぇイルカ先生、炬燵出しちゃいません?」

「………」

「ああ、それより、こっちの方がいいかな?」

おいで。と広げられたカカシさんの腕を無視して、俺はもう一度布団に頭を突っ込んだ。

「ちょっとイルカ先生!?本人がいるのに布団の方がいいの!?」

「いいんです!さっき見た事も、今見てる事も全部忘れて下さい!」

嗚呼、穴があったら入りたい!

今なら恥ずかしくて死ねそうだ。

「ふふ。イルカせーんせ、頭隠して尻隠さず、ですよ?」

背後に迫ったカカシさんに色々悪戯されたけど、俺は意地でも布団から頭を出さなかった。




end

結婚について

「結婚、婚姻、婚礼…」

アカデミーの昼休み。

弁当を買いに出たら、道端でぶつぶつ言っているカカシさんを見つけた。

覆面の上忍が真昼の公道でぶつぶつ…出来れば関わりたくないけど、気になる単語を呟いているから見てみぬ振りが出来なくて、思わず声を掛けてしまった。

「こんにちはカカシさん。何を見てらっしゃるんですか?」

「あ、イルカ先生、こんにちは。…いやね、コレ押し付けられちゃって…」

カカシさんが俺の前にヒラリと出したのは、『婚姻届』と書かれた紙。

「御結婚なさるんですか?おめでとうございます」

「ちょっと…!俺にはアナタしかいないって知ってて、笑顔でそんな事言わないでよ!」

「式には呼んで下さいね。それじゃ」

早く行かないと弁当が売り切れてしまう。

今日は何弁当にしようかなぁ…昨日は出前でカツ丼にしたから、さっぱりめで…。

「待ってよ、イルカ先生!」

無理に弁当じゃなくても一楽で…ってのもアリだよなぁ。

「イルカ先生!気にならないんですか!?いや、俺が結婚するワケじゃないんですけど!でも!」

でもなぁ、昼時は人が多いし…やっぱりここは無難に弁当で…。

「イルカ先生ェェェ!」

「ああもう五月蝿い!なんでついて来るんですか!」

「だって…」

「だっても何もありません。俺は今から昼飯確保しなきゃならないんです。それに……ッ!?」

ヒュッと目の前が霞んで、気が付くと演習場のある草っぱらに立っていた。

「カカシさん!」

瞬身を使われてしまった。

…これじゃ弁当を買いに行けないじゃねーか、このクソ上忍!

「お昼なら用意してあります。こちらにどーぞ、イルカせんせ」

手招きするカカシさんの下には青いレジャーシートに、弁当とお茶のペットボトルが各二人分。

「…最初から誘うつもりだったんですか?」

「うん。だけど、それ言う前にイルカ先生スタスタ行っちゃうから…思わず攫っちゃいました。昼休みが終わるまでには帰してあげますよ」

そう言って渡された弁当はまだ温かくて、少しだけ気持ちがほっこりした。

いただきます。と手を合わせて頬張り始めると、カカシさんがおずおずとさっきの紙を出す。

「…何ですか?俺は書きませんよ?」

時折カカシさんは、『イルカ先生と結婚したい!』だなんてワケのわからない事を言い出すのだ。

「ち、違いますよ!?そりゃあ…イルカ先生が書いて下さるって言うなら、そんな嬉しい事はないですけど…」

「…それならなんで、こんな物持ってるんですか」

「後輩にね、書いてくれって頼まれたんです。ほら、ここ」

カカシさんが指差したのは、証人の欄。

「ああ…成年二人分の署名と捺印が必要、でしたっけ?」

「そうなんです。イルカ先生、俺と一緒に書いてくれません?」

「なんで俺が…。大体、カカシさんの後輩って人の顔も名前も知りませんし…後輩さんだって嫌でしょう?見知らぬ人間の署名で婚姻届出すなんて」

「あ、そういうの気にする奴じゃないから大丈夫です。それ以前に、役所に出すかも解らないって言ってましたし」

「よく解らないんですけど…どういう人なんですか、その人」

暗部時代の後輩だというその人は、最近ようやく人生の伴侶と呼べる人を見つけたらしい。

ただ、相手は同業者じゃなくて一般人。

自分はいつ命が無くなるとも知れない危険な仕事をしているから、籍を入れてもいつ未亡人にしてしまうか解らない。

愛する彼女に、自分がいなくなってしまった後の人生を送るには足枷となるモノを作りたくない、でも籍は入れたい。

形だけでも、いや、せめて御守り代わりとして、そして、いつでも役所に出せるよう婚姻届を持っておきたいのだそうだ。

「成る程…後輩さんのお気持ちは良くわかりました。俺でよければ、書かせていただきます」

「ありがとうございます、イルカ先生」

「あ…でも印鑑が…」

「今夜お宅にお邪魔しますから、その時にでも」

「わかりました」

話をしている内に弁当も食べ終わって、レジャーシートに寝転がる。

「牛になっちゃいますよ?」

笑いながら、カカシさんも肘をついて横になった。

「そんな事言って、カカシさんもじゃないですか」

「牛二頭ですか。うーん…これからの人生、牛になってもアナタと一緒なら悪くないですねぇ」

穏やかな時間、カカシさんのプロポーズめいた台詞に顔が緩んでしまう。

「…牛になったら、イチャパラが読めなくなりますよ?」

それは困ります。と笑っていたカカシさんが、不意に真面目な顔になって俺を見つめた。

「イルカ先生は、してくれないんですか?」

「何をですか?」

「プロポーズを俺に、です」

「…カカシさん、俺ですね…昔、二回程あるんですよ。プロポーズした事」

「え…?えぇっ!?」

「相手、知りたいですか?」

高速で首を縦に振るカカシさん。

俺なんかに必死になるこの人が、どうしようもなく可愛いと思う。

「ひとり目は、俺の母親です」

「お母さん、ですか…」

「はい。『お母さんにはお父さんがいるから、イルカとは結婚出来ないのよ』って、断られましたけど」

『その代わり、イルカにはお母さんよりもっと素敵な人が見つかるわ』とも言われた。

その人は、今俺の目の前にいる。

「ふたり目は…?」

「ふたり目は、ナルトです」

「…えっ?あ…?ナルト…!?ナルトですか!?」

「はい、ナルトです。アイツがうんと小さい頃に一度、『一緒に住まないか』って持ち掛けたんですけど…見事にフラれました」

「…ナルトの馬鹿」

「いいんです。…それでですね、カカシさん。俺は二回もプロポーズに失敗してるから、また失敗するのが怖いんです。だから…俺はもうプロポーズはしません、誰にも」

「そんな…」

「でもね、俺からプロポーズはしないけど、誰かにプロポーズされたら、きちんと返事はするつもりです」













『牛になっても、アナタと一緒なら悪くない』


俺も、そう思いますよ、カカシさん。




end

仕事

 仕事を家に持ち帰る事は多々ある。

大抵はアカデミー関係で、テストの採点だったり保護者に渡すプリントの製作だったり。

いそいそと仕事を持ち帰る俺を見て、仕事中毒だと笑った同僚もいたけど、俺は別段苦に思っていなかった。

買い物をして家に帰って、まちまちの時間で夕飯を食べて風呂に入る。

風呂上がり、その日1日頑張った自分へのご褒美に、キンキンに冷えたビールと軽い肴を用意して、テレビを付けっぱなしにしたまま一杯やりながら卓袱台で仕事をする。

俺の趣味といえば温泉巡りぐらいなもので、自宅で出来るような趣味はこれといってなかったから、言わばこの時間が趣味の時間みたいなものだ。

睡眠時間を削るほど根を詰めるワケでもなく、翌日ほんの少しだけ楽をする為の下準備。

恋人でもいれば、もう少し違った時間の使い方をしていただろうけど。











「イルカ先生、相手して下さい」

「相手って、何の相手ですか」

「何って、セックスとか」

「しません」

伸びてきた手を叩き落として、草稿に目を通す。

俺の対面にはカカシさんがいて、炬燵の天板に顎を乗せてウダウダ言っていた。

「暇ならテレビでも見てて下さい」

「面白いのやってないです。退屈」

「なら帰って下さい」

「嫌です」

不毛なやり取りをしながらの仕事にも、かなり慣れたと思う。

里の誉れとまで言われる有名人カカシさんは、何がどうしたものか、妙に俺に懐いていて。

最近じゃ勝手に家に上がり込んで、まるで自分の家のようにくつろいでいる。

『好きな人の傍に居たいんです』と、嘘かホントかわからないような事を真顔で言われて、害がないならまあいいか、と何となく受け入れてしまった俺もどうかと思うけど。

好き好んでこんな狭くてボロい、独り暮らしの男のアパートに来るこの人の方がよっぽどおかしいと思う。

『狭くてボロいですけど、それだけイルカ先生の近くに居られるじゃない』

カカシさんは以前、真剣な顔でそんな事を言っていたけど、多分、単なる暇つぶしなんだと思う。

それか、こないだ出したばっかりの炬燵がお気に召したかのどっちかだ。

時折ふざけて抱き付いてきたり、戯れにキスされそうになったりするけど…いやいや、これはもう絶対暇つぶしに違いない、うん、そうだ、そうに決まってる。

実際、そうでも思わなければやってられないのだ。

額当てと口布を外したカカシさんの素顔は驚く程均整がとれていて。

俺の前で無防備に素顔を晒して、稀に腰が砕けんばかりの甘い声で俺に愛を囁いたりするもんだから、下手をすると勘違いしそうになる。

「イルカせんせー」

「お茶なら自分で淹れて下さい」

今日だってさっきから、炬燵の中でカカシさんの足が、俺の下半身に対して不埒な悪戯を繰り返しているのだ。

蹴り飛ばしてもしつこく戻ってくるし、これは一体どうしたものか。

「ちょっとカカシさん、」

「ああそうだ、イルカ先生?」

「なんですか」

「『はたけイルカ』になりません?」

「なりません。俺はうみのの姓を捨てる気はありませんので」

「それなら俺が『うみのカカシ』になろうかなぁ」

「アンタ馬鹿ですか。三代目が認めるワケないでしょう」

「そんなの、聞いてみないとわからないじゃないですか」

「それ以前になんですか、その話」

「早い話、プロポーズなんですけど」

「…イチャパラの読み過ぎじゃないですか?」

「ふふーん。ちょっと嬉しかったくせに」

「嬉しかないです。変な事ばっか言うなら追い出しますよ?」

外は寒いし、俺んちは炬燵がないしイルカ先生もいないし、それはヤだなぁと言うカカシさんの言葉を後にして、よっこいせ。と腰を上げる。

三代目に頼まれていた書類の清書も終わったし、何かあったかいものでも飲んで一休みしよう。

「イルカ先生、オヤジ臭いですよ」

「いいんです。オヤジですから」

俺より若いくせにーと楽しそうに笑うカカシさん。

ホント、何が楽しいんだか。

「カカシさん何飲みます?」

「炬燵でアイスってのもオツですよねぇ」

「アイスなんか無いですよ。氷しかありません」

後ろについてきていたカカシさんが、冷凍庫を覗いて『あ、ホントだ』と呟く。

「それじゃあイルカせーんせ。じゃーんけーん…」

ぽん!と言われて、咄嗟にグーを出してしまった。

対するカカシさんはパー。

「ハイ、イルカ先生の負ーけ。アイス買ってきて下さい」

「えぇっ!?嫌ですよ!寒いのに!」

「だって負けたじゃない」

「そんなじゃんけんならやりませんでした!」

「んー…それじゃ、アイス買いに行くのと俺にキスするの、どっちがいーい?」

「そんな二択…」

じりじり詰め寄るカカシさんの目はマジだった。

寒風吹き荒ぶ中、アイスを買いに走ったのはじゃんけんに負けたからであって、カカシさんにキスなんかしたら俺がどうにかなってしまう、とか思ったワケではない、です。断じて!












「おい、イルカ」

「何です?三代目」

「この書類のおぬしの名前…全部『はたけイルカ』になっとるんじゃがの」

「……!?」

(あのクソ上忍!)





(外堀から埋めるってのもアリだよねー)




end

すれ違う日々

 木ノ葉崩しからこっち、里の忍は皆忙しくて、実際に目が回る程だった。

俺にすら任務が回ってくる現状、里屈指のエリート上忍兼(恥ずかしながら)俺の『恋人』でもあるカカシさんも多忙を極めていて。

まだ七班が存在していた頃は低ランクの任務が主だったから、任務終わりには必ずといっていい程泊まりに来ていた彼も、最近は顔すら見せずにいた。

里の状態を考えれば、逢えなくて寂しいだなんて我が侭が言えないのはわかっている。

俺だって忍の端くれで、それなりに年取ったイイ大人だ。

任務に出る父ちゃんや母ちゃんに『早く帰ってきて』なんて強請っていた子供の頃のようにはいかない。

二十代も半ばの男がみっともなく恋人に縋るのは少しカッコ悪い気がして。

言わば『欲しがりません、勝つまでは』精神で、寂しさを日々の忙しさに紛らわせていた。

大人ならではの逃げ方だなぁと苦笑してしまう。

そりゃあ、逢えないのは勿論寂しい。

任務や雑務に追われて疲労困憊している時に好きなひとの顔ぐらい見たいと思うのは、ごく自然な事だ。

カカシさんは俺を癒やし系だなんだと言うけれど、俺からしたらカカシさんの方が遥かに癒やし系なんじゃないだろうか。

だって彼は(不思議で仕方無いけれど)俺と居る時はすごく幸せそう。

普段も充分自然体だけど、俺の家に居る時なんかは更に自然で。

フニャフニャした笑顔と甘い声で『イルカせーんせ』なんて擦り寄って来られると、無碍に出来なくて困る。

年上で、階級も上で、兎に角すごいひとなのに、可愛いなぁ。と思ってしまうのは、惚れた弱みってやつなのか?

柔らかい銀髪も色素の薄い肌も、長い手足の中のしなやかな筋肉も。

俺に触れる優しい指先ひとつだって、俺にとっては幸せそのもので。

幸福というモノをカタチにしたら、カカシさんみたいな感じなんじゃないかな。なんて。

そう考えてしまうほど、俺はカカシさんに相当やられてる。









今日は里外に出る任務もなく、アカデミーの自分の机で書類整理と雑務に追われていた。

外はぽかぽか陽気といい天気で、運動場では自主練する子供達の元気な笑い声が聞こえてくる。

忙しさとアカデミーが休校状態なのを除けば、以前と変わらないようなのんびりとした時間。

「…カ、イルカ!」

昼飯後という事もあってうつらうつらとしていた俺は、襲い来る睡魔に勝てず、いつの間にやら突っ伏して眠ってしまっていたらしい。

ガクガクと肩を揺さぶられて頭を上げると、呆れ顔の同僚が立っていた。

「お前も今日、受付所当番だろ?遅れるぞ」

「うわっ、やっべ!」

慌てて立ち上がり、口元のヨダレを手の甲で拭った。

「熟睡してたなお前」

「仕方ねーだろ、疲れてたしさぁ。天気はいいし」

顔の下敷きになっていたコピー用紙はヨダレで濡れてしまっていて、ぐしゃぐしゃに丸めて捨てる俺を、同僚は愉しそうに見ている。

「…何だよ?」

「いや?いい夢見てたんだろうなーって」

「そういや…」

そんな気もする。

あのひとの夢を見たような。

「兎に角急げよ、遅れたら大目玉だ」

ひとりニヤニヤしていたら、肩を思い切り小突かれた。











「お疲れ様でした」

報告に来る忍は皆、隠しきれない疲労が滲んでいる。

笑顔で迎える事で、それが少しでも和らげばいいと思う。

まあ本当なら、美人や可愛いくのいちがニッコリ微笑んでくれる方が、男連中からしたら有り難いのだろうけど。

人手不足は否めないのだ、もっさい男中忍の笑顔で我慢してもらおう。

「次の方どうぞー」

それにしても今日は、皆疲れている筈なのにやたらニコニコしている気がする。

天気がいいからかなぁ。

「はい。不備はないです。お疲れ様でした!」

ポンと受領印を押して、報告書を分けて置く。

「ああ、成る程…そういう事」

目の前で呟かれた声に顔を上げると、紅さんがニコニコ笑っていた。

いつ見ても綺麗なひとだよなぁ。

にしても、随分じっと俺の顔を見ている気が…。

いやいや、紅さんが俺の顔を見ても面白い事なんかひとつもないだろ、気のせい気のせい。

「カカシが最近張り切ってるのは、イルカのお陰ってワケね」

「あの…?」

カカシさんの名前が出て、思わず反応してしまった。

「頑張ってね」

「は…?はい!」

紅さんはクスクス笑って踵を返した。

カカシさんが、なんだって?

「ぐあ!書き間違った!」

「このバカ、時間がねぇのに。おいイルカ、新しい紙くれ」

「あ、はい」

ギャイギャイ騒がしく俺の前に来たのは、ゲンマさんとライドウさんだった。

新しい紙を渡した俺の顔を、紅さんと同じようにじっと見たふたりは、声を上げて笑い始める。

ライドウさんのテンションがやけに高いのは、任務明けだからだろうか。

「マジか!」

「こりゃマジだな」

「え?俺、顔に何かついてます?」

さっきのヨダレの跡でも残ってるのか?

慌てて顔をこすって掌を確認したけど、別に何もついていない。

「とりあえずおめでとさん」

「里が落ち着いたら祝ってやるからな」

「へ?」

がしりと頭を掴まれて、笑顔で近付いたライドウさんの額当てに映って見えた俺の頬には。

カカシさんの字で『へのへのもへじ』が描かれていた。

「うあっ!?」

袖でゴシゴシこすってもとれやしない。

一体いつの間に!?

「やっと気付いたか。愛が足りてねぇんじゃねーの?」

横に座っていた同僚が、ゲラゲラ笑う。

「なんだお前、気付いてたなら言えよ!うあー!恥ずかし…ずっとこのまま仕事してたのかよ俺…」

どうりで皆、ニコニコしてるワケだ。

「お前が寝てる時にな、はたけ上忍が来たんだよ。窓からヒョイッと」

「カカシさんめ……」

思わず舌を鳴らすと、同僚はポリポリと頬を掻く。

「正直あてられたな。はたけ上忍、お前の頭を撫でたあと頬にキスしてさ」

「はあッ!?」

「サラサラっとそれ書いて、シュッといなくなったぜ。さすが上忍」

想像して、顔から火が出そうになった。

あのひとが、どんな顔をして俺の頭を撫でたか、キスをしたか、これを書いたかなんて、易々と想像出来てしまって。

「愛されてんなァ、お前」

そんなこと、言われなくたってわかってる。

ゴシゴシと頬をこすりながら、いつかカカシさんに仕返ししてやろうと思った。




end

下剋上

 任務明けのカカシさんに対する出迎えの挨拶が『お疲れ様です』から『お帰りなさい』になった頃。

酷く薄汚れて帰ってきたカカシさんは、脇目も振らず一直線に俺の元に歩み寄って来た。

「お、お疲れ様です」

その勢いに気圧されたのと場所が受付所だからだという事で、僅かに口ごもった俺の腕を、彼は無遠慮に引き上げた。

「ただいま」

机越しに抱き締められて、ああ、また人目が気にならないぐらいこのひとを追い詰める厭な任務だったんだろうなぁと思う。

そりゃあ俺達の関係が周知の事実で、受付所でのこの熱い抱擁が幾ら慣れっこになったところで、周りの視線が全く気にならないのかと訊かれれば、ハイとは素直に言えないのだけれど。

この場合の最重要課題は、カカシさんを精神的に追い詰めてきた重っ苦しい任務の呪縛から、如何に気持ち良く解放して俺んちで休ませてあげるかに限る。

普段なら、軽く抱き締め返して『お帰りなさい』と言えば、最初の遠慮の無さが吃驚するぐらいにあっさりと体を離すカカシさんは、今日は何処か違っていた。

「イルカせんせ」

「はい?」

カカシさんの背にそろりと回した俺の手は、下ろすに下ろせなくなって、彼の埃っぽいベストをやんわりと掴んでいる。

疲労と、喉の渇きの所為か僅かに掠れているその声に、思わずドキリとした。

「今すぐ俺のでアンタのナカをぐっちゃぐちゃにしてやりたい」

「は…?」

「啼いて、よがって、上からも下からも涎垂らして腰振るアンタを無茶苦茶にしたい」

「あのー…カカシさん?」

此度の任務はよっぽどだったらしい。

人の耳元で、何処から仕入れてきたのか(まあ、彼の愛読書からなのだろうけど)のべつまくなし卑猥な事を言う銀髪を軽く引っ張って顔を覗き込むと、カカシさんの目は完全に遥か彼方へイッてしまっているようだった。

「…五代目」

周りを見回すと皆フリーズしていて、唯一目が合った五代目火影・綱手様を呼ぶと彼女は呆れたように首を振った。

「…三十分」

「一時間」

時計を見上げて呟いた五代目に、間髪入れずにカカシさんが答える。

「カカシ、イルカに一時間も抜けられると後がキツいんだよ。三十分で我慢しな」

「それじゃあ、五十五分」

「ほぼ一時間だろ。……四十分」

「五代目、移動時間を考えて下さいよ。全然足りないですよ、やっぱり一時間」

「三階のトイレなら人も来ないだろ。四十分」

「トイレとか…無理ですよ、イルカせんせぇ声大きいし」

「結界でもなんでも張りゃいいだろ。兎に角四十分!これ以上は譲歩出来ないからな」

いつの間にか俺抜きで始まった交渉は、四十分で蹴りがついたらしい。

カカシさんは俺の体を離すと、にっこり笑って『行きまショ』と手を引いた。

「五代目!」

「なんだい?イルカ」

「後日過分に残業しますので、今日は早退扱いでお願いします!」

勢いよく頭を下げ、呆気に取られる五代目を後にして、俺とカカシさんは受付所を飛び出した。






四十分?

そんなモンで足りるかっての!




end