擬人化

スウェット上下に健康サンダルを引っ掛け、ビニール袋を下げてダラダラ歩く。

イイ歳してなんてだらしない格好なの!と、スーパーで会ったサクラに怒られたけど、そんなの知ったこっちゃなーいよ。

任務が終わってせっかくの休み、天気はいいし、此度の任務ではチャクラも切れずに済んで体調もすこぶる快調。

特に予定も無いし、忍犬達でも洗ってあげようかねー、その前に昼飯だよねー、なんて、弁当屋の暖簾をくぐった時だった。

「カカシ先生?」

聞き覚えのある耳に優しい、俺の大好きな声に狭い店内を見回すと、イルカ先生がいた。

「奇遇ですね、イルカ先生も昼飯買いに?」

「はい。今日は半ドンで、さっき仕事が終わって」

「そうなんですか。あ、焼き魚弁当大盛りと味噌汁ひとつ」

店に入る前から決まっていたメニューを注文して、弁当を待つイルカ先生の横に立つ。

(ああ、しまったなぁ)

イルカ先生に会うって解ってたら、もう少しマトモな格好で出掛けてたのに。

「カカシ先生、今日はお休みなんですか?」

「うん。昨日帰ってきてね、今日はやる事なくて暇だから忍犬達でも洗ってあげよっかなぁって」

「へぇ、そうなんですか。…あ、すみません」

イルカ先生は俺の前を通って出来上がった弁当を受け取り支払いを済ませると、また俺の前を通って元の位置に立った。

俺の弁当が出来るまで一緒に待っててくれるのかな、やっぱりイルカ先生は優しいひとだ。

「お休みの日でもそれ、外さないんですね」

「ああ、これですか?外出る時はコレつけてないと、何か落ち着かないんですよね、俺」

口布をビローンと引っ張ると、イルカ先生はさっと頬を染めて俯いてしまった。

「あれ?イルカせんせ?」

「あの…俺もご一緒していいです、か?」

「はい?」

「いやあの、俺も暇だし。ナルトから忍犬沢山いるって聞いてて、それであの、おひとりじゃ大変かなぁって、それで…いや勿論、ご迷惑でなければですけど…」

だなんて。

どれだけ俺を喜ばせたら気が済むんでしょうか、イルカ先生は。











汚い所ですがどうぞ、と前置きしてリビングに通すと、上忍の住まいが珍しいのかイルカ先生はキョロキョロと辺りを見回していた。

「お茶、冷たいのしかないですけど」

「すみません、お構いなく」

テーブルに弁当を置いて、ちょこんと座るイルカ先生にグラスを渡す。

何かいいなぁ、いつもは俺がイルカ先生の家にお邪魔してるのに、今日はいつもと逆だもの。

考えてみれば、イルカ先生と夕飯や晩酌を共にするようになって結構経つのに、イルカ先生が俺の部屋に来た事は一度もなかったっけ。

「カカシ、客か?」

「パックン、イルカ先生だよ」

「あ、お邪魔してます」

のそのそと寝室から顔を出したパックンは、何だかえらく長い時間じっとイルカ先生を見ていた。

「何よ。俺達今からご飯食べるの、その後みんな風呂に入れるんだから、パックンあっち行ってて」

ハイハイ、と引っ込んでしまったパックンの後ろ姿を見ていたイルカ先生は、俺に向き直ると楽しそうにクスクス笑っている。

「…何ですかイルカ先生笑っちゃって、やーらしいの」

「すみません…ふふ、親子みたいだなって思って」

「えー?俺イヤですよ、あんなしわくちゃの父親」

「だってカカシ先生、子供みたいでしたよ。甘えてるっていうか…俺んちにいる時とはまた違った感じで、ちょっと新鮮でした」

「…え、俺、イルカ先生んち居るとき、甘えてます…?」

「あれ?気付いてなかったんですか?」

「…嘘、」

だって俺、イルカ先生の前じゃ出来るだけカッコつけてるし、気を抜かないように気を付けてる。

そりゃたまには今日みたいにダラダラしてたり多少は気が抜けてるかも知れないけど。

俺はどっちかっていうと、イルカ先生に甘えるより甘やかしてあげたいって思ってるのに。

「カカシ先生、顔真っ赤ですよ?」

「…ゴメンナサイ」

恥ずかしくてイルカ先生の顔が見られない。

それ以上何も言えなくて、弁当に箸をつける。

『腹減ってしょうがなかったんですよ』なんて誤魔化しにもなってないだろう俺の独り言に、イルカ先生は『俺もです』と笑って、弁当を食べ始めた。

「俺も魚にすれば良かったかな。カカシ先生の美味しそうですね」

「おかず交換します?俺もさっきから唐揚げ美味しそうって思ってて」

ああ、鈍いようで鋭い人だから、さっきの話題にはこれ以上触れないでいてくれるのかな、イルカ先生はホント優しい。

「あ、カカシ先生」

「ん?」

「米ついてます」

何処に?と聞く前にイルカ先生の手が伸びて、俺の頬から米粒を、

取って、食べ…

「…ッ!?イルカせんせ!?」

「へ?…あ!…あの、すみません!意地汚いですよね、つい癖で…」

ナルトがですね、と話始めたイルカ先生の声は、右から入って左に消えた。

というか、まったく耳に入ってこない。

だって、イルカ先生が俺のほっぺについた米粒食べたんだよ!

(うわあ、なんだコレ)

顔が熱い、イルカ先生も必死になってナルトの話をしながら顔が赤い。

何だかいい雰囲気、言うなら今しか無いんじゃないの?

「イルカせんせ、」

意を決して顔を上げた俺の視界にイルカ先生、の後ろに、パックンを筆頭にニヤニヤと笑っている忍犬達の姿があった。

(うん、俺、あんなのが父親だったら確実にグレてる)




end

甘いお菓子みたい

※『 擬人化』の続きです。





いい雰囲気になったものの、どうにも忍犬達の目が気になって、イルカ先生に気持ちを伝える事は出来なかった。

「…なんで見てんのよ、お前ら」

ガシガシとタオルで身体を拭いて、ドライヤーをかけながら犬相手に愚痴っている俺は、多分すごく情けない顔をしてると思う。

わふん。と鳴いて、ブルは巨体を揺らしのそのそとベランダへ移動した。

主人の恋を邪魔する気はないけれど、応援する気もないらしい。

「カカシ先生?上がりますよー」

「はいはーい。大丈夫ですよー」

俺んちの風呂場からイルカ先生の声がするなんて、普段の俺だったら色っぽい展開を大いに期待してしまうけど、ベランダで並んでひなたぼっこする忍犬達を見ているとそんな事を想像するのすら憚られてしまう。

(見慣れてる筈なのにね)

同じ屋根の下にイルカ先生がいるってだけで見慣れた景色がこうも違って見えるんだから、兎に角イルカ先生が俺に与えてる影響力ってのは如何ともし難いぐらい大きいらしい。






気まずい昼食を終え、いざ忍犬達のシャンプーの時間。

袖を捲って『さあ、どうしましょうか?』と言うイルカ先生にドライヤーでの乾燥をお願いして、俺はシャンプーやブラシを持ってみんなに声を掛けた。

…のに、誰ひとり、いや、誰一匹として俺の方には寄ってこなかったのだ。

「ちょっと、」

今更シャンプー嫌だとか言わないデショ、昨日の任務でいっぱい埃被ってみんな気持ち悪いって言ってたじゃない。

「パックン?」

都合が悪くなるとだんまりを決め込むパックンは、俺の手からブラシを奪うとイルカ先生の足元にちょこんと座った。

「あの、えーと…カカシ先生?」

「いや、はは…すみません。みんなイルカ先生に洗って欲しいみたい」

なんて羨まし…いや、図々しい、飼い主の顔が見てみたい。

「俺で大丈夫ですか?」

「噛んだりしません、だいじょーぶです」

俺が忍犬達に噛み付きそうだけど。

イルカ先生はおっかなびっくりといった感じで、それでも嫌な顔ひとつせずに引き受けてくれた。

イルカ先生が洗って、俺が乾燥。

普段は八匹まとめて水遁洗い、なんて事をやるからか、イルカ先生の丁寧なシャンプーにみんな満足げで。

パックンにいたっては『次も頼む』なんて更に図々しいお願いまでしてしまったらしい。

主人の面目丸潰れだよねぇ。











「お疲れ様でした」

「思ったより力がいるし…カカシ先生、いつも大変ですね」

笑顔でマグカップを受け取ったイルカ先生は、ぐるりと首を回して少し伸びをした。

「俺は普段、大雑把にやってますから」

「…え、もしかして水遁使ったりですか?」

「うん、そう。ヒドい時は川で遊ばせて終わっちゃうの」

それはヒドいですよ、と言うイルカ先生は、俺のトレーナーを着て笑っている。

大人しい犬達とはいえ、八匹も洗えば流石に服もびしょ濡れで。

『ほっとけば乾きます』と言うイルカ先生に『風邪引かせたら後が怖いから』と、無理矢理着替えとタオルを押し付けて浴室に閉じ込めた。

『ついでに風呂も入っちゃって下さい』と言った俺の言葉に素直に従ったイルカ先生は、湯上がりらしい火照った頬としっとり濡れた髪が何とも扇情的。

忍犬達は、みんなで固まって昼寝中。

シャンプーのついでにマッサージもしてもらったみたいで、風呂上がりのオジサンみたいにだらんと寝ている。

「俺も口寄せ、出来たら良かったなぁ」

イルカ先生はベランダに干されてパタパタ揺れる、忍犬達用の小さな額当てを見ながらポツリと呟いた。

「どうして?」

「カカシ先生、子供の頃からみんなと一緒なんでしょう?」

「はい」

「凄く羨ましいと思って」

「…ひとりが、寂しい?」

「寂しいです。アカデミーや受付所で沢山人に会って家に帰った時は特に」

(ひとりは、寂しい)

俺じゃダメかな?俺じゃ、イルカ先生の『寂しい』を消してあげられない?

「…でもね、すごく寂しいなぁって思ってる時に、何故か必ずカカシ先生が現れるんです」

いつも誘って下さってありがとうございます、とイルカ先生はかしこまって頭を下げた。

違うよ、俺はイルカ先生が好きだから、ただ貴方に会いたくて、貴方を独占したくて夕飯や晩酌に誘ってたの。

貴方が寂しがってるだなんて、これっぽっちも気付いてあげられてなかった。

「ごめんね、イルカ先生」

「なんで謝るんですか。謝るのは俺の方ですよ。羨ましいだなんて、言っちゃダメですよね」

そんな寂しそうな顔して笑わないで、今、俺と一緒に居るのに。

(ひとりじゃないのに)

「…イルカ先生、口寄せ、してみませんか?」

「…え?」

「寂しくなったら俺を呼んで下さい。ううん、寂しくなくても、俺を呼んで?」

「あの、カカシ先生、」

「俺は貴方が好きです。貴方が寂しいのは嫌。だからといって、貴方が他の誰かと一緒に居て寂しさを紛らわせるのも嫌なんです」

「あの…それはつまり、」

こういう事でいいんですか?と俺に近付いたイルカ先生の唇が、俺の唇に重なって、ゆっくりと離れた。

「イルカせ、」

「…えっと、俺流の口寄せ、です」

ああ、もうダメ。

俺は、多分一生、この人に頭が上がらない。




end

僕のおもちゃ

 テンゾウに、俺がイルカ先生と付き合ってる事がバレてしまった。

いやいや、俺は断じてイルカ先生と付き合ってる事を恥じているワケではない、断じて。

むしろ声を大にして里中に知らしめたいぐらい(それをやったら一生口きかないとイルカ先生に言われたので我慢してるけど)

なのに何故バレて『しまった』という言い回しなのかというと、猫目で里唯一の木遁術の使い手、俺の暗部時代の後輩『テンゾウ』という男の性格が『極悪』だからであって。

コイツ以外にだったらどれだけ知られても構わない、むしろ火の国中に知らしめたい(それをやったら一生口きかないとイルカ先生に…以下略)

しかもしかもだ、バラしたのがイルカ先生本人とあっては俺としては嬉しいやら悲しいやら、とにかくモヤモヤの遣り場がない、だから困っている。

それもこれも、全てテンゾウが悪い。











最初に『飲みに行きましょう』と言い出したのはテンゾウ。

『また奢らせてやれ』とふたつ返事で頷いたのは俺。

『それならイルカ先生も誘いましょう』と言ったのはテンゾウ。

その時点で嫌な予感はしていた。

奴の目が、それはそれは怪しく光ったように見えたのだ(見間違いとかじゃない、絶対)

『誘ってみるけど来ないかもよ』と前置きして、任務報告に向かった俺とテンゾウをいつも通り癒やし満載の笑顔で迎えてくれたイルカ先生は、『アナタと二人で過ごしたいから断って!』という俺の必死な目配せには気付きもせず、『俺でよければお供しますよ』なんて快諾してしまった。

『ナルトの話も聞きたいし、カカシさんの昔の話も聞いてみたいです』

なんて、少し恥ずかしそうに言われちゃったらさ、ダーメ!なんて強く言えないデショ?











とりあえずビールで乾杯、から始まって三時間余り。

イルカ先生は日によって飲むペースも酔いが回るペースも違うけれど、今日に限ってはそのどちらも早かった。

テンゾウはこんなだけど話上手だし聞き上手でもある。

イルカ先生もテンゾウが同い年で、俺という鎹がいるから気が楽だったのかも知れない。

注がれるままに酒をあおってテンゾウの話に相槌を打って、何やらいたくご機嫌の様子。

俺はといえば、テンゾウが余計な事を言わないかヒヤヒヤしながら、ちびりちびりと酒を舐めていた。

「ところでイルカ先生?」

「なんですかーヤマトさん」

『ヤマト』はテンゾウの今の名前。

俺はまだ少し馴染めない。

「イルカ先生は、カカシ先輩の恋人が誰だか知ってます?」

ガチャン。

小鉢をひっくり返したのは勿論、俺。

「先輩ったら僕に惚気るくせに、何処の誰だか教えてくれないんですよ」

何なに、何言い出すのコイツ!

俺は慌ててイルカ先生を見た。

酔いの回ったイルカ先生は、テンゾウの言葉の意味が脳まで達していないのか、ぽやんとした表情でテンゾウの顔を見ている。

やだやだ、止めて!そんな可愛い顔でテンゾウなんか見ないで!

「…惚気ぇ?」

「はい。先輩が言うには先輩の恋人は黒髪が綺麗で笑顔が可愛くて、仕事熱心で真面目。感情表現がストレートで、涙脆い。情に篤くって子供好き、先輩みたいな面倒臭い人間にも裏表なく接してくれる、先輩曰わく聖人君子みたいな人らしいです」

言った、確かに言った。

『簡単にでいいから先輩の恋人さんの事教えて下さいよー』なんて言われて、パッと浮かんだイルカ先生の事を簡潔に、さらっとテンゾウに教えてあげたのだ。

だってまさか、イルカ先生本人に伝えられるとは思わないじゃない!

「それだけですかぁ?」

「いやいや、まだまだたっくさん惚気て下さいましたよ。ベッドの中でも凄く可愛いそうで」

ちょっと、ホントに止めて!明日イルカ先生が覚えてたら殺される!

はあ、と感心したかのような溜息を吐くイルカ先生は、視線だけでテンゾウに続きを促した。

「先輩は、その人に逢って人生変わったって。そんな素敵な人なら一度くらい見てみたいじゃないですか」

ねぇ?とイルカ先生の同意を求めるテンゾウに、針の穴を通すぐらい細く研ぎ澄ました殺気を送ってみたけど、コイツは全く、屁とも思ってないみたいでそれがまた腹が立つ。

「ちょっとテン…ヤマト、」

「カカシしゃんの恋人はぁ!」

突然のイルカ先生の大声に、ビクッとした。

テンゾウもビックリしたみたいで、じっとイルカ先生を見ている。

イルカ先生はジョッキの底に残ったビールを飲み干して、にっこり笑った。

「俺れす!俺もぉ、カカシしゃんに出逢ってぇ、人生変わっちゃいましたから!」

「……」

「……」

「ヤマトしゃん羨ましーれすかー?でもダメれすよ!カカシしゃんは、俺のれす!」

「……」

「……」

キャッキャと笑った直後、イルカ先生は居酒屋のテーブルに突っ伏して鼾をかき始めてしまった。

「…先輩」

「…何よ」

「ご馳走様でした」

言うだけ言って人に伝票を押し付けてドロンと消えた後輩の笑顔は、新しい玩具を見つけた小さな子供のようで。

酔いに任せて高らかに恋人宣言をしてくれたイルカ先生の寝顔を見つめながら、俺は嬉しいのか悲しいのか解らない表情でただ溜息を吐く事しか出来なかった。




end

いつも見ていました・前編

「…好き、好きです。カカシさん、大好き」

「イルカ先生、大丈夫?」

居酒屋からの帰り道。

今日はやけに月が明るくて、街灯なんかひとつもないのに舗装の整っていない道端に生えた草の影さえも、はっきりと映って見える。

俺はイルカ先生を背負って、砂利道をひたすら歩いていた。

「好きなんです…」

イルカ先生は酒気を帯びた息を吐きながら俺の首に腕を回し、ぐりぐりと頭を擦り寄せては『好きです』と繰り返していた。

(…うんざりする)












「アスマさん、好きです」

静かにグラスを置いたイルカ先生は、正座したまま潤んだ瞳でアスマを見上げ、そう言い放った。

「イルカ…俺もお前が好きだぜ」

いつになく甘ったるい声で返したアスマは、イルカ先生の頭をよしよし、と撫でた。

「ちょっとイルカ、私は?」

アスマの髭面を押しのけた紅がそう聞くと、イルカ先生は彼女の手をそっと握り、真剣な面持ちでこう返す。

「紅さん、好きです」

「ありがとう、私もイルカが好きよ」

ふふふ、と満足げに笑った紅の横から、アンコが顔を出した。

「イールーカー!」

「アンコさん、好きです」

『あたしもアンタが好きッ!』とイルカ先生に飛び付いたアンコは、相当酔ってるみたいだった。

次にイルカ先生は、アンコを引き剥がしたイビキにも。

「好きです、イビキさん」

と詰め寄って、拷問と尋問のエキスパートである強面の男を赤面させ、たじろがせて見せた。

それからは色々な人間が顔を出して、『俺は?』『私は?』とイルカ先生に問い掛ける。

そのひとつひとつに『好きです』と真剣な表情で返すイルカ先生は、傍目にはとても酔っているようには見えなかった。

少しだけ目が据わっているようにも見えるけれど、背筋は伸びてるし、顔も赤くなっていない。

「…ねぇ、何なのアレ」

「あらカカシ、アンタ初めて見たの?」

「こいつは普段付き合い悪ィから」

含みを込めて婀娜っぽく笑う紅に、アスマが相槌を打って笑う。

「イルカは酔うとああなるの。面白いでしょう?」

「ゲンマ命名『告り上戸』ってヤツだ」

『うみのイルカ(アカデミー教師)は、一定酒量を超えると告白しまくる』

上中忍混合の飲み会では最早『定番の余興』らしい。

「へぇ、あの真面目で如何にも奥手そうな人がねぇ…。誰彼構わず?」

見た感じ、目に映った人間に順番に『好きです』と言い回っているように思う。

「それがね、酔ってる癖に判別はしてるみたいなの。誰にでも言うワケじゃないのよ。ね、アスマ」

「あぁ、イルカ自身が苦手に思ってる相手にゃ口が裂けても言わねぇな。まあ『嫌い』だって言わねー辺りがイルカらしいっちゃイルカらしいがな」

成る程、余興扱いされるワケだ。

要は、イルカ先生に『好きです』と言われればそれで良し、言われなければ早い話、彼に嫌われているという事。

言われなかった人間の心情は兎も角として、周りで見ている人間はそれは面白いだろう。

上忍は当然実力派揃いだが、性格に問題がある奴も多い。

只でさえギスギスとした忍の世界、本心を隠して行動する事が常だから、イルカ先生のように酔った勢いとはいえ他人に対して分かり易い好意を伝える人間は、新鮮で面白いのだと思う。

「イルカ、こっち来いよ」

あちらこちらで愛玩動物のように撫で回されていたイルカ先生は、アスマが呼ぶとふらふらと此方の席へ戻ってきた。

アスマとは幼い頃から兄弟同然の付き合いをしていたらしいから、奴の言葉には素直に従うのだろう。

覚束無い足取りが、辛うじて彼が酔っている事を知らしめている。

「イルカ。ほら、カカシはどう?」

紅が悪戯に笑って俺を指し示した。

「カカシ先生…?」

正直やめて欲しかった。

俺とイルカ先生との面識は、有って無いようなモノ。

ナルト達の現在の上忍師とアカデミーでの元担任、受付所で顔を合わせた時に部下達の近況や軽い世間話をするぐらいで、これといった付き合いも無いのだ。

互いを知りもしないのに出される評価は、聞きたくもない。

それに多分、イルカ先生は、

「カカシ先生は、嫌いです」

(…ほらね)

そんなの、言われなくたって知ってたのに。


「やだ、ちょっと…」

「オイオイ、嫌われてんのか?…カカシ」

言わせておいて、紅とアスマは慌てていた。

俺が機嫌を損ねたとでも思ったのだろう。

「…みたいね。知ってたけど」

俺に『嫌いだ』と言ったイルカ先生は、直後に何処からか現れた同僚らしい中忍がペコペコ頭を下げて謝って、遥か遠くの席に引っ張られて行ってしまった。

「知ってたってお前…」

「分っかり易い人だよね。俺を見るといっつも嫌そうな顔すんのよ、あの人」

幾つか思い当たる理由はある。

遅刻だとか俺の愛読書に関してだとか、恐らくナルトやサクラ辺りから色々と聞いているに違いない。

でも、だから何?って話だ。

俺が見るべきは俺の部下達であって、その元担任と上手く付き合っていかなきゃならないなんて決まりは無い。

「ほんの一瞬なんだけどさ、険しい顔しちゃって」

直ぐにその表情は引っ込んで、いつもの笑顔になる。

(アレは多分、作り笑いだろう)

そう考えていたけど、今日彼が俺をどう思っているかを知ってはっきりした。

「ま、面と向かって言わたら少しビックリはしたけど。だからって何かしてやろうとも思わないし」

「カカシ…あのね、」

「…何?」

「イルカは酔いが醒めたら、アンタに言った事なんか全く覚えてないのよ?」

「…だから、何?」

「だから、アンタは何も知らないふりして普段通りにイルカに接しなさい。わかった?」

紅の無茶振りに、うんうん、と頷くアスマ。

「ちょ、ちょっと待ってよ。何で俺がそんな事しなきゃいけないワケ?」

正面切って嫌いだと言われて、相手が自分の事を嫌いだと解ってるのに、その上でこれまで通りに振る舞えって?

俺にそんな義理はないし、イルカ先生にしたって嬉しい話じゃないだろう。

嫌いに思っている相手なら、極力関わりたくないと思うのが人間だ。

「だって、ねぇ?」

「なぁ?」

紅とアスマは目を合わせて、ニヤニヤと笑っている。

(…駄目だ、面白がってるよコイツら)

自慢じゃないが、俺は生まれてこの方好意を寄せられこそすれ、正面からはっきりと嫌いだと言われた事はなかった。

陰口を叩かれたり疎ましく思われるのは慣れているし、そういった輩は本人を前にすると何も言えなくなるから気にする事はない。

だから、ほんの少しだけイルカ先生に興味を持った事は認めるけど。

「初めてなのよ?イルカが誰かに向かって『嫌いだ』って言ったの」

「木の葉で唯一、イルカに嫌いだと言われた男、か。こりゃあ次の飲み会からイイ見せ物になるぜ?」

俺達の会話を、耳をそばだてて聞いていた周りの連中も、アスマに同意して深く頷いている。

「…お前ら、ろくな死に方しないからね」

「んなこたぁお前に言われなくても解ってるよ。せいぜい次の飲み会までに、イルカの心象良くしとくんだな、カカシ」













別にアスマに言われたからとか、嫌いだと言われて少し傷付いただとかそういうワケではなくて。

先にも言ったように、ほんの少しだけイルカ先生に興味を持ったから、飲み会の翌日、なにげなく夕飯に誘ってみた。

イルカ先生は一瞬目を見開いて、それからいつものように笑顔を作って頷いた。

(嫌いなら、断ればいいのに)

俺は、嫌われてるなら嫌い返せ。なんて思わない。

ただ、何故嫌われてるのか。

純粋に答えが知りたい。

薄々嫌われてるんだろうと感じていても、俺はイルカ先生に対して悪い印象は持っていなかったから尚更だ。

俺が気付かないうちに、彼に何かしていたのなら謝らなければいけないと思ったし、嫌われている理由が俺の日頃の生活態度に対する部下達の愚痴から派生しているなら、それはありのまま受け入れる気でいた。

それさえ解れば、後は前みたいな距離感で。

上っ面だけの付き合いをしていけば充分だと、思っていた。

いつも見ていました・後編

俺の忍人生で『内勤の中忍』なんて肩書きの友人は過去ひとりとしていなかった。

だからなのか、イルカ先生との食事も会話も新鮮で、物凄く楽しかったのだ。

いや、それを差し引いても『うみのイルカ』という男は面白い人間だと思う。

分かり易い、だなんて彼を評した自分を正したい。

アカデミーの教師をやっているだけあって、コミュニケーション能力の高い人。

俺は階級や年の差を気にする方ではないけれど、彼は俺に対して常に丁寧な物腰で、だけれど堅苦し過ぎるかと言えばそうでもない。

話題も豊富で、話上手なだけでなく、聞き上手でもある。

くだらない話にも相槌を打ってくれ、真面目な話には真摯に応えてくれた。

嫌いだと思っている俺に対してすらそうなのだから、彼に好意を持たれた人間にはどんな対応をするのだろう?

そう考え始めたら、止まらなくなってしまった。

事ある毎に彼を誘って、食事や酒を共にする。

その度にイルカ先生の新たな一面を発見して、嬉しくなる、楽しくなる。

(もっと知りたい、もっと見たい)

乾いた大地が雨を欲するように、俺はイルカ先生との時間を欲した。

ほんの少しの興味は、今や底の見えない探求心へとすり替わって。

俺の誘いを断らないイルカ先生に、それを赦されているような錯覚すら感じるようになったある日、ふと気付いた。

(イルカ先生は、俺が嫌いなんだっけ…)








『翌日も仕事がありますから』と、イルカ先生は俺の前で酒量を超すような真似はした事がなかった。

もしまた酔って『嫌いだ』と言われる事があったら『何処がどんな風に、いつから嫌いなの』と意地悪く聞いてやろうと思っていたのに。

やはり、嫌いな人間と居る時は気を抜けないのだろうか。

誘いは断らないけれど、そんな部分はきっちりと一線を引かれている、壁を作られている。

そう思うと、たまらない寂しさを感じた。

いっそ誘いも断って、嫌いだと全面に押し出してくれれば俺の気も楽だったのに。

(嫌いになれたのにね)

そう思う時点で、俺は間違いなくイルカ先生に恋をしていたのだと思う。

そして、それを自覚してしまったら、ますますイルカ先生の気持ちが気になりだした。

執念とか執着とか、忍としてはあまり褒められたモノではない感情に突き動かされるように、イルカ先生を探して、誘う。

何度もそんな事を繰り返すうちにイルカ先生の態度も軟化してきて、軽口を叩いたり、呼び方も『カカシ先生』から『カカシさん』になり、イルカ先生の方から夕飯に誘ってきたりするようになった。

そして、ついに、イルカ先生の家に酒類を持ち込んでの宅飲みをした時、翌日は仕事も休みだからと酒をあおったイルカ先生は酔っ払って、言ったのだ。

「カカシさん、好きです」

『嫌い』が『好き』になった。

嬉しい、これは喜ばしい事だ。

俺はイルカ先生に嫌われていない。

いや、嫌われていたのに、好きだと言われるまでに彼に好意を抱かせる事が出来たのだ。

(ここは喜ぶべき、でしょ?)

なのに何故だか、俺は全く嬉しいと思えなかった。

(どうして?好きな人に好きだと言われて、嬉しくないだなんて、そんなのはおかしい)

何故嬉しくないのか。

イルカ先生が酔って言っているから?

いや、酔っていても彼が言う事は紛れもなく本音だと、アスマや紅、その他大勢の人間がそう言っていた。

だからコレは、イルカ先生の本音。

尚更嬉しい事の筈だ。

(じゃあどうして?俺もみんなと同じように、好きって言ってもらえたのに)

みんなと、同じ…?

(…ああ、そうか)

みんなと同じ。

その他大勢のみんなと同じように、イルカ先生は俺に好意を持っている。

それはつまり、彼の特別ではないという事だ。

十把一絡げ、その他大勢と同じだなんて。

俺はそんな事望んでいない、だから、好きだと言われてもちっとも嬉しくなかった。

彼からの欲しくてたまらなかった一言は、ただ俺を意気消沈させた。

いっそ、嫌われていた方がマシだった。










それからイルカ先生は、箍が外れたかのように俺に好きだと言うようになった。

勿論、素面の時じゃない。

俺は苛立ちと失望を隠して、イルカ先生を変わらず飲みに誘って酒を酌み交わした。

要はイルカ先生が、俺の前では酔っ払えるぐらいに気を許しているという事。

アスマや紅、その他大勢と同じラインに立ったという事。

俺は彼の特別ではなくなってしまった。

ただの友人、同じ里の仲間。

(なんてつまらない)

好きだと言われたって、イルカ先生は翌日になればキレイさっぱり忘れているのだ。

俺も貴方が好きです。と伝えた所で、酔っているイルカ先生に言っても通じるワケがない。

いっそ素面の時に、いや、何なら受付所で、みんなの目がある前で言ってやろうか。

そんな事を考えもしたけれど、せっかく彼からの好意を受けられるまでになったのに、この居心地いい関係をぶち壊してしまうのは躊躇われた。











「イルカ、ほら、カカシはどう?」

いつかの日の再現のように、紅が俺を指差してイルカ先生を促した。

イルカ先生の黒目がじっと俺を見て、口元がふわりと弛む。

「カカシさん、好きです」

「ありがとね。俺もイルカ先生が好きですよー」

「…なんだ、つまんねーな。いつの間にそんなに仲良くなったんだよお前ら」

隣に座ったアスマが、俺の横腹を肘で突く。

好きだと言うイルカ先生に、僅かだけ本音を乗せて軽く返す。

これは俺なりの防衛策だった。

「そういえば最近、良く連んでたわね。点数稼いだの?カカシ」

「変な言い方しないでよ。普通に飯食いに行ったりしただけだよ」

今日はアスマ、紅とイルカ先生、俺の四人で、短冊街の百楽に来ていた。

ガイは生憎と任務中で、ガイとイルカ先生の熱いやり取りが見られなくて残念だと紅は不満そうだったけど。

酒が進むにつれて任務の愚痴や生徒達の話になり、軽い下ネタやなんかも飛び出して、まあ普通に楽しかったのだ。

…イルカ先生が酔うまでは。

「カカシさん、好きです」

紅が振ったからか、イルカ先生は俺に向かって好きです、と言い始めた。

「ハイハイ、さっき聞きましたよ。そろそろ酒は止めて、烏龍茶に替えましょうね」

通りかかった店員に烏龍茶を注文すると、アスマが苦笑いを漏らした。

「手慣れてんなぁ、カカシ」

「だってイルカ先生、こうなっちゃうと話通じないじゃない」

あとは飲みつぶれて眠ってしまう。

イルカ先生に好きだと言われ始めると、さっきまで美味しかった料理も途端に味気なくなる。

それは俺が勝手に不貞腐れているだけなんだけど。

「そうね…そろそろお開きにする?」

「そうだな…カカシ、イルカ送ってやれるか?」

「ハイハイ、邪魔者は退散しますよ。お二人でごゆっくりどーうぞ?」

「言ってろ馬鹿」

「じゃ、またね。カカシ、イルカもおやすみ」

おやすみなさいと頭を下げるイルカ先生を連れて、店を後にした。












そして冒頭に戻る。

足元の覚束無いイルカ先生を背負って、彼の家へと向かっている。

その道中もイルカ先生は好きだ好きだと繰り返して、俺の胸を抉った。

酔っ払いの戯言だなんて、普段なら『俺も好きですよ』とさっきみたいに受け流せる筈なのに。

今日に限ってはムカムカする、苛立ちが止まらない。

イルカ先生の家に着いて、彼をベッドに下ろし水を汲んで戻ると、縋るように抱き付かれてまた『好き』だと言われた。

「あのねぇ、イルカ先生」

「好きです。カカシさん、大好き」

もう、ホントに勘弁してよ。

無理矢理引き剥がしてイルカ先生を睨むと、イルカ先生はじっと俺を見てこう聞いてきた。

「カカシさんは?俺の事好き、ですか?」

(もう駄目、我慢出来ない)

「イルカ先生、俺は貴方の事嫌いです。大嫌い」

「そ…うですか…」

ゆらりと揺らめいたイルカ先生の瞳に、胸がチクリとする。

「なんで酔ったフリしてそんな事言うの」

「え…?」

「今日はアンタ、酔ってないでしょ。そんな事して俺に好きだって言って、好きかって聞いて、どうしたいの?…ホントにアンタが好きな俺は、どうすりゃいいの」

「な、なんで解って…」

「アンタ俺をナメてんの?解るに決まってるじゃない。俺がどれだけアンタを見てきたと思ってるの」

イルカ先生が白旗を振るまで、あと僅か。

(早く降伏して)

そうしたら本当の事を教えてあげるから。




end

人の匂い

忍たる者、匂いには細心の注意を払うべし。

例えば小さな血の染みひとつ。

嗅覚鋭い忍犬の追跡を赦す糧と成り得るし、世の中には忍犬以上に鼻の利く忍も存在するのだから。












「うー…寒っ」

ゴソゴソと寝返りを打って、イルカは近くにあった温かい塊にしがみついた。

くすぐったそうに身を捩ったカカシは、布団から腕を伸ばして暖房のリモコンをオンにする。

「おはよ、イルカせーんせ」

「おはようございますカカシさん、ふふ…くすぐったいですか?」

「んー…イルカせんせ肩冷えてるね。俺が布団取っちゃってた?」

「俺が布団蹴ったかも知れないです」

カカシはイルカの肩を抱いて、布団を引き上げた。

甘えるように擦り寄るイルカは、カカシの胸の辺りに額を寄せる。

「今日も寒いね」

「寒いですねぇ。布団から出たくないです」

「天気予報、雪降るって言ってましたよ」

「えー…今日アカデミーで屋外演習あるんですよ」

「俺も紅のトコと合同任務なんだよね。あったかくして行かなきゃ」

互いにくっついたまま離れず、部屋が暖まるまで布団の中でじゃれ合うのが寒くてツラい冬の朝の、唯一の楽しみ。

「朝飯どうします?」

「んー…時間があったら木ノ葉食堂寄る?熱々の味噌汁飲みたい」

「はい。…あー…いい加減風呂入って準備しないと」

時計を見て名残惜しげに身体を離したイルカは、うんと伸びをするとベッドから降りた。

カカシもそれに倣ってのっそりと体を起こす。

部屋の中はだいぶん暖まっていて、ヒドい寝癖のついた頭をガシガシと掻くカカシは大きく欠伸をした。

「今日も凄い寝癖ですね」

「イルカせんせも人の事言えませんよ?」

「誰の所為ですか、誰の」

クスクス笑いながら浴室になだれ込む二人を、パックン始め忍犬達が呆れたように見つめていた。












「オハヨー」

「おはよう、珍しく遅刻しなかったのね」

八班との待ち合わせ場所にカカシが到着した時、そこに居たのは紅とヒナタ、サクラとサスケだけだった。

「たまにはね。って、アレ…ナルト達は?」

サスケ以外の少年三人の姿が見当たらず、カカシはぐるりと辺りを見渡す。

「集合時間には少し早いし、何処かで寄り道してるんでしょう」

カカシがイルカと朝食を終えて店を出た頃には雪がちらついていて、日の当たらない場所にはうっすらと積もり始めていた。

サクラとヒナタは僅かに積もった雪を前に話に花を咲かせていて、サスケは木に寄りかかって目を瞑っている。

「うー!寒ィってばよ!」

しばらくして駆け寄ってきたナルトは、カカシと紅を交互に見て複雑な表情を作った。

「おはよう、ナルト」

「何?どうしたのお前、俺達に何かついてる?」

「紅先生、カカシ先生、キバのヤツ風邪引いてるかも知れねーってばよ。任務休んだ方がよくねーかな」

「風邪なんか引いてねーよ。な、赤丸?」

「ワン!」

ナルトに追いついたキバと赤丸は、不本意だという顔でナルトを睨みつける。

その遥か後方ではシノがゆったりと歩いていた。

三者三様にマイペースな少年達を見て、紅は不安げな声でキバに尋ねる。

「キバ、貴方具合が悪いの?」

「全然!ナルトが勝手に言ってるだけだぜ」

「ワンワン!」

「だってだって!キバのヤツ、イルカ先生とアスマ先生の匂いがするって嘘ばっかりつくんだってばよ!」

「…っ!?」

「…あー…」

さっと頬を染める紅と、どうしたもんだかなぁとナルト達を見詰めるカカシ。

上手い言い訳を探す大人ふたりを尻目に、キバとナルトは言い争いを始めてしまった。

「嘘じゃねーよ!赤丸だって言ってるし!」

「ワン!」

「イルカ先生もアスマ先生もいねェじゃねーかよ!風邪引いて鼻が詰まってるんだってばよ!」

「風邪なんか引いてねーって!」

「アンタ達鈍いわねー」

「あの…ナルトくん、キバくん、それはね…」

敏い少女達は事態の収拾を図ろうと、言い争う二人に非難めいた視線を寄越しながら口を開いた。

「その辺にしておけ」

漸く追いついたシノが制止すると、皆の視線が彼に集中する。

「でもよォ、シノ」

「止めんな、シノ!」

「お前達以外は皆理由がわかっている。だが、あえてそれを言う必要は無い」

「…は?」

「はあ!?教えろよ!」

「なぜなら、世の中には『言わぬが花』という言葉があるからだ」

意味わかんねー!と頭を抱えるナルトとキバ。

カカシは頬の火照りが治まらないらしい紅をちらりと見た。

「お互い気をつけなきゃねぇ」

「そうね…」

今は幼いナルトやキバも、いずれその理由を知る日が来るだろう。


紅達は兎も角、俺達はきちんと説明出来なきゃダメだよなあ。と呟いたカカシは困ったように、それでいて何処か楽しそうに笑った。
 
 
 
 
  
end

恥ずかしいから許して

「俺達が子供の頃って、二十四時間営業なんて概念が無いデショ。任務終わって里に帰ってきても、店という店はみんな閉まっちゃってるし。営業してるって言ったって飲み屋とかだけで、俺もまだ未成年だったから入れてもらえなくて、空きっ腹抱えて家に帰ってね」

カカシさんはそこで区切って、ズズッと味噌汁を啜った。

「勿論、家に帰ったって誰もいないじゃない?寂しくって、口寄せしてパックンでも呼ぼっかなーと思っても、チャクラは切れてるし身体は怠いし」

白飯をかきこんで、漬け物をパリパリ。

「埃っぽい布団に潜り込んで、丸まって鳴る腹を押さえつけて寝ようとしたんだけど、やっぱり腹減ってるからどうしても眠れないんですよ」

「おかわりどうですか」

「あ、お願いします。さっきより少なめで」

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます。でね、仕方ないから残ってた兵糧丸を口に入れて、ギュッと目をつぶったんですけど、何でしょうね。情けないやら寂しいやら、よく解んないんですけど、涙が出てきちゃって。その時は本気で『忍辞めよう』って、そう思いました」

箸を置いて、懐かしむように少しだけ寂しそうに笑ったカカシさんは、パン、と手を合わせて『ご馳走様でした』と俺に向かって頭を下げた。

「お粗末様でした」

「いえいえ、いつもすみません。茶碗洗っちゃいますね、イルカ先生明日も朝早いでしょう?俺に構わずお休みになって下さい」

いそいそと台所へ向かうカカシさんの背中を見るのは、もう何度目の事だろう?










ある日の夜の事。

風呂上がりの俺は寝室から聞こえてきた物音に、息を殺してクナイを構えていた。

独身男の一人暮らし、盗む物なんかありゃしないし、見た目通り安普請な中忍アパートに住む赤貧の中忍宅に盗みに入ろうだなんて不届きな輩は、とっ捕まえて説教してやる!なんて勢い巻いて引き戸を開けた俺は、人のベッドで高鼾をかく人物を目にして呆然と立ち尽くしてしまった。

里外からの任務帰りであろう外套と、バックパック。

固まった血のこびりついた銀髪の持ち主は、木の葉の里では唯一人しかいない、俺の見知った人間だった。

『チャクラ切れで動けません』

叩き起こすと、辛うじてそれだけを言ったカカシさんを上がったばかりの風呂場に引っ張っていって風呂に入れて。

夕飯の残りだった味噌汁と明日の朝食べていくつもりでとっておいたご飯を無理矢理食べさせて、初ボーナスで奮発して買ったはいいけど一度も使う機会がなくて押し入れに突っ込んだままだったカビ臭い客用布団に押し込んだ。

翌朝遅刻しかけて慌てて仕事に出た俺は、カカシさんの事なんかすっかり忘れて帰宅すると、部屋の中がピッカピカに掃除されてて非常に据わりの悪い思いをしたのだ。

『一宿一飯の恩義ってやつです』

と胸を張るカカシさんに、

『あんたチャクラ切れてんでしょうが!大人しく寝てなさい!』

と怒鳴りつけたのは、今は良い思い出。

餌付けてしまったのか何なのか、それ以来カカシさんは里外に出る任務が終わると真っ直ぐ俺の家に来るようになった。

大概日付が変わろうかという深夜で、俺が出せる食事は最初の日と同じように白飯と味噌汁と漬け物。

時折作り過ぎて余ってしまった煮物とか、缶詰めなんかも出すけれど、カカシさんは文句ひとつ言わずに平らげて、お礼にと茶碗を洗い、朝食用の米を研いでセットしておいてくれる。

その後は勝手に風呂に入って、勝手に客用布団を引っ張り出して、勝手に寝てしまう。

(俺んちを何だと思ってるんだこの人は!)

最初の数回こそそんな憤りにムカムカしていたけれど、俺の環境適応能力は生半なモノではなかったらしい。

むしろ当たり前で自然な事。

受付所でチラリとカカシさんの帰還日を確認して、その日にはいつもより多めにご飯を炊いておいたり、最早カカシさん専用になった客用布団を干しておいたり。

寝室の窓の鍵を開けておくのも日課になってしまった。

だってカカシさんは、今やコンビニが二十四時間営業当たり前、俺の出す侘びしい食事よりも良い物が食べられる店もいっぱい出来たし、呑み屋にだって入れる年齢にもなったっていうのに、何故か、好き好んで俺の家に来るんだから。

「ねぇ、イルカ先生?」

「なんですか?」

「イルカ先生も茄子の味噌汁好きなの?俺が来る時、いっつも茄子の味噌汁だよね」

俺の好物なんですよ、と笑うカカシさん。

貴方が来る日に味噌汁の具が茄子なのは、きちんと理由があるんです。

今日は心の準備が出来てないので、次に貴方が来る時に教える事にします。

だから、次も真っ直ぐ俺の所に帰って来て下さい。




end